遺構と黒い袋の話★ | あいすMたれ流し

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南三陸町の防災庁舎の取り壊しに待ったがかかり「遺構」として遺される方向だとあった。今さらながらあの高さまで津波が押し寄せたのかと思うと信じられない。これを見ると想い出すから悲しみが増すから~と遺構に否定的なのだろうが、人間は元々おばかな動物。例え今生きている我々が後世に伝えたとして数十年だろう。次の世代にこの東日本大震災を実体験した者はいない。そのうち日本史の教科書に上っ面だけ「2011年3月11日東日本大震災」と記載されるだけ…今の我々が「関東大震災」を教科書で眺めることと同じ感覚で知るだけだ。【現に石碑として遺した(当時はそれしか技術がなかった)ある部落ではそれより下に家屋を作らずに難を逃れている】。例え維持費がかかろうとも、遠藤さんらの犠牲は絶対無駄にしてはならない。東日本のあちこちにこの大震災を風化させない工夫は絶対に必要だと思うのだ。/また原発近くの地域の映像では、近くなればなるほど山積みになっている(汚染土や汚染物質入りの)あの黒い袋が目に入って来た。その瞬間に原発の敷地内に林立している汚染水タンクがダブって見えた。あれらをいったいどうする積もりだ?高圧洗浄機で水を噴射して川や土の中に流し込むだけでなく、この袋の汚染土も地球の表面付近に埋め込むと言うのか?そういえば公園や校庭の表面を削り取り、ちょっとだけ下に埋めたのではなかったか?その場をしのげば良い、設置された測定器の数値を下げれば良い~では本当の解決にはならない。防潮堤の高さでもめたりもしているが(復興が進まない原因のひとつだ)、自分たちのエゴですべてを考えるのではなく、どうすれば少なくとも次の世代が安全に暮らせるか考えるのが本筋だろう。→私案はあるのだが反発が怖くて(炎上?)とても書けそうにないや。