20代にやっておくべきこと前編 | 東海最大級の接骨院院長のブログ

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40代で今ようやく自分の理想とした会社が完成されてきた。



私の会社の名前である【おおえのきトータルヘルスケア】の有言実行


 

自分の会社に自分の名前を入れたのは決意の表れ

 

良くも悪くも全部自分で全責任を持つという事。


【おおえのき】って名前は三重県で親戚を入れて2件だけ。だからすぐに良い噂も、悪い噂も広がる。
 

 

そして、家族や親戚にも少なからず影響するプレッシャーがある。
 

 

これが、ひだまりトータルヘルスケア ベル(鈴鹿だから)トータルヘルスケア、スマイルトータルヘルスケア・・・など検索したらたくさんありそうな名称なら、誰が責任者なのかはっきりわからない。
 

 

最悪、悪い噂が広がっても名前を変え、違う会社に変えてもいいと・・逃げる事も出来るかもしれない。
 

 

しかし、自分の名前を入れるということは、すべて自分が行う責任を取ろうと決心した。

 

 

いきなり話がそれたけど(笑)
 

 

トータルヘルスケアの名称は私が開業する15年前から決めていた。

学生から正社員として10年勤めた病院時代に【絶対に実現させる】と設立まで逆算して人生設計した事を覚えています。

 

 

わたしは米田柔整が二つ目の学校ということもあったので、親にすべて出してもらうのは悪いと思い、働きながら学ぶというスタンスを取りました。
 

 

救急指定病院は法定時間勤務したら正社員登録として病院正職員として受け入れてくれると言っていただき、学生でもリハビリ科に配属され正社員として勤務することになりました。
 

 

当然学校は夜間部でしかFullに勤務できないので、2足の草鞋生活が始まります。


 

今思えば、学生でも正社員として、社会保険・ボーナス・有給と待遇していただいた病院院長には感謝しかないです。 


だから、今、私の会社では学生でも正社員として雇用して社保もボーナスも出しています。


 

しかし、その引き代えに学生という甘い特権はなく、時間もきっちり正規と同じ時間勤務して、仕事内容も同じように決められ、さらに、学生の勉強もおろそかにできない環境です。


 

私の学生時代のタイムスケジュール

 

病院横の寮に住み込み、家賃は1万円で激安。でもすべては共同です(笑)

 

6時30分に毎朝起床

 

7時30分に学生と新人はリハビリ室の朝の準備

 

8時に病院のカンファランス・整形外科勉強会・朝礼が週3回あり出席。

 

8時30分から12時まで午前中のリハビリ室業務・午後はお昼を病院の食堂でみんなと一緒に食べる

 

16時~17時00分まで授業に合わせて勤務。

電車は駅まで徒歩5分なので50分かけて名古屋まで通学し授業。

 

21時30分に学校が終わり、電車で寮まで帰る

 

22時30分に病棟の食堂で毎日一人でご飯を食べる。

寂しかった(笑)札に大榎と書いてある当然冷え冷えのおかずでしたが、病院食なので栄養バランスは最高。

 

23時にお風呂に入り、そこからようやく自由時間・・・

しかし、テスト勉強があると、最低一科目1時間かけても3教科ある日は3時間かかり、

 

深夜3時まで勉強し、やっと就寝・・・

 

 

6時30分にまた起きて16時までがっつり勤務して、21時30分に学校が終わり、22時30分に帰り、ご飯食べてそこから勉強する・・・の繰り返しです。しかも3年間。

 

唯一の自由時間は電車の中

 

通学50分はすごく貴重でした。

 

 

大好きな本をたくさん読む、日ごろの疲れを回復させる、車内ガラ空きだったのでお菓子を食べる・・と時間のありがたさはその時からわかっていました。

 

学校が休みの春・夏・冬休みは職員と同じように朝から夕方まで同じように勤務して、時には事務当直もしました。

 

 

その休みの時には病棟業務・オペ室補助業務・ギプス巻補助・整復補助・整形診察補助・と新しい仕事をもさせてもらい、卒業したと同時に即戦力になれるように出来る範囲の仕事を覚えていました。

 

 

踏み込んだことをすると、『お前、まだ学生なんだから』といつも言われるのが悔しくて、早く免許を取りたいと思っていましたね。

 

 

【もっと仕事を覚えたいです!!】言ったら

『学生は学業が本業だから勉強をとことんしろよ!!』と言われてすごく悔しかったので、勉強でも実技でもクラスでトップを取り、

【もう勉強では上がいないです。学業はとことんやっているので新しい仕事をやらせてください】と言ったことを覚えています。

 

今では生意気な学生だったと思います(笑)

 

 

でもあの時に、夜間部は仕事をするので勉強する時間がおろそかになるから出来が悪いと言われたくなかったので、時間がないなりに勉強の効率を上げる事を学び、集中して物事が出来るように癖がつきました。

 

卒業時は国家試験自己採点では学年一番を取り【2問間違え3名】免許を獲得。

 

 

国試対策休みなんて全くなく国家試験一日前も仕事はフルに働き、日曜日に国試を受けて、次の日から通常に仕事・・

 

国試は通過点

 

学生時代から、国試合格を目標に勉強したことは一度もないです。F-1レーサーになりたい人が、自動車学校の卒業試験を目標にする人ってはいない。 

 

 

【業界で一番になってやる!】って志だけは、常に高くしていたので💦  学生から有資格の先輩たちと混じりセミナーや実務を学んでいました。経営についても。

 

 

勉強はもっと先を見据えて、学生の間に良書と呼ばれるも、学生でお金がないので先輩が読み終わった高価な本は貸してもらいすべて読んで学びましたね。

 

 

今の学生に言うなら、

時間があるなら学生の間たくさん本を読んで、学生にしがらみや会社の縛りがないからいろいろな先生を尋ねたらいいです。それが学生の特権。

 

勉強も常にトップを取り続ける事をすると、勝ち癖が習慣化する。

 

 

勉強がすべてではないけど、学生時代にたかが勉強に力を抜いて奴は社会人になっても自分の力をイザというときに100%出し切れずに終わっている人が多い。

 

勝ち癖はつけて、さぼり癖はつけないほうがいい。潜在的に出る。

 

 

今思えば、社会で成功している先輩・同期はここぞといと時、みんな集中力が凄かった。

 

 

学生の働きながら学んだ3年間は本当に試練を与えてもらえたから、あの3時間睡眠と通学移動を3年間続けたので、今少し辛くてもなんともつらいと思わないし、時間がなくても効率的に集中力をもって取り組めることが25年間もできている。

 

 

あの時に苦労してよかった。

 

 

学生の間に獲得したこと

1.時間の使い方
2.短時間でも勉強の効率を上げる集中力
3.短時間で体力回復とモチベーションを借り換えるコツ
4.トップを取り続ける勝ち癖
5.本を読む習慣を身に着ける(月最低4冊×12か月×3年)
6.ハングリー精神・どんな辛いことも乗り越えられる自信

 

柔整師免許取得で、いきなりどん底

 

ようやく法律的に骨折の整復やギプス巻固定・後療法・問診・病棟回診処置が出来ると意気込んでいた、初日に整復実務が来た。

 

 

接骨院でも頻繁にある肘内障。

ずっと病院時代から見ていたので、簡単にできると思っていた。

 

 

しかし、患者は言葉が通じない外人で、2日間放置のため腫れが異常だったのでなかなか整復できず、最後は先輩に代わってもらい整復される。 

 

 

なんと、柔整師人生一発目の整復ができないスタートです!凹みました・・・ 

 

 

しかし、先輩が、【少し今回はイレギラーで難しかったね、次回また、決めようぜ!】

 

 

この先輩の言葉に救われた。学生時代学問は無敵(笑)で知識をひけらかしていた生意気な学生だった私に、先輩は出来なかった事を自然にフォローしてもらい、優しい言葉をかけてくれた・・今でも忘れない。

 

 

だから、この悔しさと、今でも記憶している失敗での恥ずかしさは残っているので、若い人ができなかった時の気持ちがわかる。 

 

 

若い子がたとえ上手くいかなかったときは、ののしるのではなく、

【次頑張ろうな!!】としっかりフォローすることをこの時に誓い、今も心がけている。

 

誰でも最初は初心者。できない事が当たり前だから

 

そんな初回に躓いた柔整師人生が始まります。

 

 

その後は学生の間に病院内での仕事はすべて把握していたので、取得と同時に骨折整復・ギプス固定・外傷処置・救急対応・病棟回診・オペ室補助・整形診察問診・当直・ケアマネ業務・・・そしてメインのリハビリ業務と毎日同じような骨折はないように日々外傷治療とリハビリ業務に明け暮れていました。

 

 

ギプス巻もその月のギプス担当者が巻くようになっており、午前外来3件くらい巻き、午後入院で7件くらいで10件は平均的に毎日ギプス固定あります。

 

 

それをほぼ毎日行いますので、月に20日稼働で200-120件くらい巻きましたね。

 

 

日本でもこれだけ柔整師がギブスを巻ける環境は今となってもないと思います。この経験をすべて伝えていきたいと思います。

 

 

10年救急指定病院にいて、もう見ていない骨折・脱臼の種類はないです。 

 

 

股関節脱臼骨折も顎の脱臼骨折も膝の脱臼、足関節脱臼、顆上骨折、肩甲骨複合型骨折・脊椎破裂骨折・骨盤骨折・鼻骨整復・尾骨整復・あらゆる整復・固定を経験しましたので世の中の骨折はすべて対応経験済みです。

 

 

オペ室業務も10年で、ほぼ術式は見れました。

 

 

25年前から関節鏡も盛んにおこなわれていて、勤務していた病院院長は手の外科なので、数千万円するマイクロサージャリー(バカでかい顕微鏡のような機器)で肉眼では見えにくい髪の毛より細い糸で小さな神経を縫い、鼻息で糸が飛んでいく軽さの糸で血管・神経の繊維を縫い合わせて、切断した指を繋げていました。

 

・・・この人神かと思いましたね。

 

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今でも院長はかわいいlineのスタンプをいただけたり、情報をやり取りしています。

 

 

私は院長に恩は絶対返したいと思いっていました。

 

 

20年後、院長の息子が整形外科医師となり、2020.4/1東京の大岡山であおぞら整形外科クリニックをオープンした時はスペシャルな理学療法士を紹介でき、東京外部顧問のseo対策、知り合いの物療選定、今後周辺接骨院連携と無償でサポートさせていただきました。恩は絶対返したほうがいい。

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免許を取った23歳の時は、休日はいいと思ったセミナーや勉強会へ行き、一つの療法を極めてからまた新しい治療法を学んでいきました。

 

当時はAKAやIDストレッチ、マッケンジーなど理学療法に興味があり、仕事でもそのまま使えるためリハビリを追及していましたね。

 

 

 

そして、本院の東京北品川病院への理学療法科研修としての長期研修があったりして、理学療法士が行う評価・長期計画書・短期計画書など作成して都内のベテラン理学療法士に教えてもらいました。

今ではすっかりきれいになった病院になってます⇩http://kcmi.or.jp/shinariha-park/ 品川区と病院が一体となった次世代複合施設      リハビリテーション病院・介護老人保健施設と、区が公共図書館が同一建物
 

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いまではそれが活きており、柔整師が苦手としている評価をすることが当たり前にできるで、介護リハビリ期計画書や機能訓練評価表・トレーニングFMS評価などもすぐできるようになっています。 

 

若い時に理学療法士と交流ある人は評価の仕方を習うといいですね。

 

病院での定期的な大きな学会発表会にも論文提出形式で積極的に出しましたし、院内のカンファランスやプロジェクト、宴会、イベントごとにはほぼ顔を出しましたので、セミナーでのプレゼン力やパワポ作成もサクサクできます。 

若い時にパワポや人前で話すこと、論文を習うと後で便利ですよ。

 

人前で話すことは大好きで、職員500人の前でも、医師の前でもまったく緊張なく話せるようになったのも20代で経験したおかげです。 

 

また、よく整形医師・内科医師といろんな科の医師と定期的にごはんやマージャン・野球部活動とかわいがってもらいプライベートも充実していました。

 

このおかげで、医師の特性やプライベート、人間をしっかり知ることが出来付き合いがうまくなりますね。若い時に医師とコンタクトしてかわいがってもらうといいですよ

 

 

あ、勉強ばかりしていたわけではなく、学生の一年生から同じ病院の看護学生1年生とずっと卒業後も一筋でお付き合いしていましたよ。

 

 

共に学生だったので、テスト期間や国試の時は休日図書館で勉強を一緒にしたりして楽しかったですね。

 

 

看護の勉強は途方になく広くて浅い。

 

 

看護師って覚える事が山ほどあり、柔整師のように運動器疾患・運動器解剖・外傷学とコアではなく、内科・外科・小児科・母子・産婦人科・脳神経・心理学・生理学・薬剤・看護理論・・・・広すぎるジャンルでした。

 

看護師の苦労、医師に対しての考え方、看護師の正義とは、どんな人がかっこよく見えるか・・看護師の特性も知った。

だから看護師の落とし方多も高確率でできる(笑)

 

スポーツも音楽もしましたよ。

 

冬は毎週木曜日病院スノーボード部があり病院の車を使いみんなで行き、夏は病院野球部に所属し毎週練習か試合をして、県内の病院野球リーグに入りリーグ戦を通じてチーム打率も上位で1番セカンドをよくやっていました。 

 

 

 

病院リーグなんで試合中肩脱臼したら、必ず医師もリハビリ科も全チームいるし全員整復できるから取り合い(笑)

 

 

 

また、病院の新人歓迎会ではバンドを結成して、歓迎演奏しました。   意外な面?高校時代に私ずっとバンド組んでいたので、担当のドラムをしたこともいい思い出です。

 

 

とにかく20代はあれこれ考えずに、こだわりなく、自分でいいと思ったものや、興味ある事はとりあえず体験してみる事をお勧めです。 

 

 

そして、走りながら自分に合うものや方向性も見つかっていまので、気がつけばやりたい事に対してベクトルが向いているよ。

 

 

私のベクトルは、もう医療がやりたくて、根拠ある治療法・数値化で説明できる治療法・再現できる治療法・科学的根拠が説明できる治療法・・・と自分が少しでも納得できないものは患者様にも納得して説明できないと思う基準が出来ていました。ある衝撃が起きるまでは…

 

 

そして、2000年に日本の歴史が変わる介護保険法が始まり、病院は大混乱です。

 

 

しかし、そこも行動してケアマネの試験を病院全職員300名中2名しか合格者はなく、私と薬剤師の先生2人で居宅介護支援事業を立ち上げました。

 

 

そこでトータルヘルスケアを意識して、介護・医療と一体となった会社を作ろうと決めていましたね。

 

 

 

当時の【医療は医療・介護は介護】と連携している施設はまだなかったけど、勤務していた病院は強固に連携して、医師も病院から介護施設に行き一緒に回診し、リハビリ科も一緒になって介護リハビリと兼務していた。

 

一気に視野が広がった

 

介護を知ることにより、痛みを取るだけが医療ではない事が分かったし、医療での治療はあくまでその患者さんの人生のほんの一部の困りごと。
 

もっとその先に重大なこと、長い付き合いがあるということが介護を通じてわかった。

 

私の介護に興味を持ったエピソードは多分セミナーを受けた人や当院のスタッフは何回も繰り返しているので、聞き飽きたエピソードとおもいます💦

 

ある日、痛い所だけ専門的治す自分の視野がいかに狭かったかはこの経験したからわかったこと。

 

膝人工関節のオペをした患者様に【はい、膝だいぶ良くなりましたね、退院おめでとう、お大事に】

 

しかし、その患者さんは浮かない顔をして嬉しそうじゃなかった。

 

なんでだろ?

 

今まで治療しかできなかったので、その先を考えた事がなかった。
 

医療だけではそこで終わる。その方の今後の人生の先を見通したサポートは医療では限界。
 

膝の不自由さは生涯続くので、自宅に戻る前に、ずっと住む自宅の改修をする必要がある。

 


段差の解消・手すりの設置・浴槽の段差解消・滑りにくい床材の張替え・布団からベッドへの手配・転倒リスクある動線の確認・・・膝に負担がかからない事すべて改善し、実行する。 

 

 

そして、術後の膝のリハビリ通院でタクシー利用する費用、予約の手間、医療保険でのリハビリ継続制限があるので、介護保険下でのデイサービスで送り向かいをして、機能訓練を継続し、命尽きるまで何十年と生涯安心してサポートできるケアプランを立てる。 

 

 

 

これ、全部柔整師である私ができます。ケアマネという資格と機能訓練士としてずっと生涯サポートできます。

 

 

 

 

ここまでしてこの方の膝を診ていく!!と言える。

 

私はそんな会社を作る決心をしたのが20代でその決意があったので、15年前開業と同時にデイサービス・訪問介護と接骨院を同時に設立し、ダブルでサポートしています。

 

しかし、20代最後の年、29歳の時に衝撃的な出来事がありました。その一年後この病院を退職する事となります。

 

今までしてきたことが何だったのか?自分の信じてきた医療を根本から見つめなおす出来事が20代最後の年に起こり、開業することをいったんやめて再び学びの道へ行く事になります。 

 

続きは・・・人生の第二章へ・・・

でもスキ30いかなかったら続きは書くのを辞めます・・💦だって読んでくれないと寂しいもん(笑)

お願いします、若い人に伝えたい第二章・・・