気持ちは固まったけど、きっと私はこの離婚からまだ学ぶことがあるんだろうと思って、自分のこころの中を観察中。

私はまだ、やりなおせるならやりなおしたいと思っているのかな。と考えると、もともと変化は苦手だし、やり直せるならそれでもいいか、とも思ってしまいそうになるんだけど、夫から言われたことを思い返していくと、私たちは本当に感覚が違っていて、夫としてはそこがどうしてもがまんできないんだろうと思う。そしてその感覚の部分は私ががまんしてどうこうできるものではない以上、どうしたってうまくはいかない。

ではムリだからあきらめるだけで、私はやりなおしたいのか、と考えてみる。
あまり変化しないで済むという意味ではそうかもしれない。でも、自分をしあわせにしようと考えたら、やりなおさない。私は今、自分をもっと良くしたいと思っている。良い仕事をしてもらえるお金を増やしたいし、女性として扱ってくれるひとと出会いたい。

夫が子どもたちの父親であることには変わりないし、子どもたちに新しいお父さんが欲しいとはまったく思わない。再婚は子どもたちにとって負担になるだろうからしない。でも自分の気持ちを支えてくれたり、困ったときに相談にのってくれて、私を女性として扱ってくれるパートナーは欲しい。

女性として扱われたいとか、そういうパートナーが欲しいというような、女性としてのしあわせは、考えるべきではないと思っていた。お母さんだから。子どもたちを最優先にして、自分のしあわせは考えなくていいと思っていた。でもたぶん、自分でそんなふうに思いながら、夫にしあわせにしてほしいと願っていたんだと思う。

自分で大切にしていないものをひとに渡したとしたら、渡されたひとだってそれを大切には扱わない。それと同じように、自分で自分のしあわせをどうでもいいと考えているようなひとのしあわせを、自分以外のひとが考えてくれることはない。たぶんそういうことだろな。そして、自分で自分のこともしあわせにできないような人は、子どもたちをしあわせにすることもできない。

私は自分をしあわせにしたい。そしてしあわせな自分として、子どもたちのこともしあわせにしたい。
本当にそう思うけど、子どもたちにとってはどれほどの負担になるかまだ全然予想ができない。
夏休みに入ったら子どもたちと話をする予定。そしてその様子を見ながら届けを出す時期を決めようと思う。