世良公則(66)
6月15日放送のテレビ朝日系
「徹子の部屋」(後1・00〜)に出演


サザンオールスターズの桑田佳祐(66)との交流について語った。

世良公則はロックバンド「世良公則&ツイスト」としてデビューしてから今年で45周年を迎えた。1981年の解散後はソロ歌手、俳優としても活躍。

デビュー当初から黒柳徹子が司会を務めていた『ザ・ベストテン』に、世良公則&ツイストもサザンオールスターズもよく出演していた。



世良公則
「あの頃はロックバンドがテレビに出て歌うとか、そういうことって凄く珍しかったので、割とロックの先輩からは『テレビなんかに出ちゃって』なんか言われたり。テレビの方の方からは『現場にTシャツ、ジーパンにサンダル履いてタオルを首にかけたような若造が出入りしてる』って。よく守衛さんにも『どこ行くんだ』って止められて、出演者ですって言って入れていただりたりしてたんですけど」

黒柳徹子
「当時の同志と言うか、サザンの桑田さんとは仲良かったんですって?」



世良公則
「そうですね。当時から、桑田くんとは年に何回か、お互いに誕生日だったり、クリスマスとか、年明けだったり『新年あけましておめでとう』とか、メールのやり取りをしてまして…。(桑田に)『あの頃ね、世良はね、あちこちでよくぶつかってた、スタッフの方とああでもないこうでもない、モニターをくれとかいろんなことをやっていて、俺は一生懸命後ろで、まあまあまあまあって。俺があの時になだめてやったから、今はやれてるんだよ』って、こないだは言われました。やっぱり桑田氏とかは、戦友っていうか、幼なじみっていうか、一つの時代を一緒に苦労した仲間、戦友という意識が強いですね。」


黒柳徹子

「桑田さんにあなたがお作りになった陶芸の物をプレゼントなすったんですって?」

世良公則

「先日、仕事場に桑田が来ることがあったんですけど、で、お抹茶をたてたりとかしてもてなしたんですけど。


黒柳徹子

「凄いわね、あなた。いちいちもてなしてるの?」

大体僕の仕事場にミュージシャンとかスタッフが来ると、最初はお抹茶と和菓子でセレモニーがありまして、それが終わったあとに『じゃあそろそろ打ち合わせでもしますか』って話になるんですけど。(桑田が来た)その際に自分で作ったというフリーカップを使ったところ、桑田が『それいいね、カッコいいね』と言ったので「じゃあ、お持ち帰りになりますか」とプレゼント。でも彼はあれは何に使うか分かってないみたいで。桑田「これどうやって使うの?」って言うから、コーヒーを入れてもいいし焼酎割りを入れてもいいし、フリーカップだ、って言ったら…

桑田『お前が命名したのか?』って言うから、普通にフリーカップという言葉はあると思いますって…。何に使ってるんでしょうね。

焼酎でもいいんですよ。焼酎割でもなんでも」


黒柳徹子

「今日見ていたらきっと笑ってるわよ」



黒柳徹子

「桑田さんにしても、仲良くしているのはいいわよね」

世良公則
「そうですね。若い頃、30代の時とかはお互いに自分の道を目指すっていうのがあって、少し疎遠になったりもしてたんですけど、40、50、60と年を加えることによって、お互いの中で、認め合う気持ちの方が強くなっている。ライバルであるんだけど、彼の存在があったから、自分は自分の道を信じることができたし、恐らく僕がいたから、彼も自分の道を迷わなかったと思うし。なんか、桑田氏に限らず、同年代のアーティストに会うと、凄く自分の足場を確認できるっていうか、お互いを認め合うっていうのが、素直にできるようになりましたね」






なんと言っても世良公則&ツイストと、サザンオールスターズは黒柳徹子さんが司会の『ザ・ベストテン』に常連のように出ていた。


サザンに関して言うと、スポットライトというコーナーに出演した事で人生が一変したと言っても過言じゃない。


あれは、「新宿ロフト」からの中継だった。沢山の観客に囲まれて店内の中央に立っているバンドに、驚かされた。その場は、超盛り上がっており、ライブを終えた直後だった彼らは原由子を除いて皆ジョギングパンツ姿だった。


MCの黒柳徹子

「急上昇で有名におなりですが、あなたたちはアーティストになりたいのですか?」

桑田佳祐

「いいえー、ただの目立ちたがり屋の芸人で~す」

そんなやりとりからは、現役の学生バンドらしさが伝わってきたが


音符ラーラララララ、ララーラー、ラーラララララ、ララーラールンルン

歌が始まると異常なぐらいのハイテンションの桑田佳祐の歌いっぷりとそのメロディに私は衝撃を受けた。これが「勝手にシンドバッド」である。私はすっかりサザンの虜になった。翌日、学校へ行くとサザンオールスターズの話題で持ちきりに。ちなみに「勝手にシンドバッド」は、2か月以上もランクインし続けて大ヒットとなるが


まだ12曲じゃ「一発屋ミュージシャンかもしれない」という、思いが頭をよぎる。も、「気分しだいで責めないで」の後に出した「いとしのエリー」で『本物』と世界に知らしめた。


また、テレビ出演を嫌がらないロックバンドとして認知され人気者になり、それまでのロック・ミュージシャンとテレビとの関係性を変えたという意味でもサザンオールスターズはまさに画期的なアーティストなのだ。



また、桑田さんと黒柳徹子さんは、《息子》《お母さん》呼びをする仲なのだ。と、言うのは…

(有名な話だが、念のため)


『ザ・ベストテン』で「気分しだいで責めないで」でランクインして登場した際、桑田さんが『ノイローゼ!ノイローゼ!』と連呼したり、サザンの衣裳が当時としては奇抜だったため、今後桑田さんがなにか間違いを起こすのではないかと黒柳徹子さんが思い、自分が芸能界の親代わりとして出るところに出ようと思ったため、桑田さんを息子と呼んでいた。また桑田さんも黒柳さんを御言葉に甘えて?お母さんと呼んでいた。


と、いう間柄である。


話は逸れたが、世良さんと、桑田さんの戦友の絆は深いんだろうなと、改めて認識出来て良かったニコニコっていうか、陶芸をされている世良さん、多才な方よねー。そんな世良さんを味方につけている桑田さんも幸せだなよだれ飛び出すハート