長崎原爆の日はなぜ左翼が大騒ぎしないのか

広島に比べて、報道も少なく注目度の違いは何なのか、漠然とした疑問を持っていました

長崎の原爆では70,000人もの犠牲者を出し、そのうちキリスト教徒の犠牲者があまりにも多く、キリスト教では「同教徒は殺さない」という掟があって、米国としてはどうしても隠したいという思惑があって、報道も広島重視で喧伝したらしいですね

 

どうしてか、日本の報道もそれにならい、内外に発信する情報量は広島に比べて本当に少なかったようです

また、長崎の県民性もあるのかもしれません

 

ここからは、情報として聞きかじった話ですので、ソースは中松義郎(発明家:ドクター中松)氏の著書

この本、今はアマゾンでも売り切れで、読めていませんので聞いたお話をします

ですので、話の一つとしてお受け止めください

 

聞くところによると、中松さんは海軍兵学校を経て軍の最後の幹部クラスだったようです

著書の中では、日本は本当に強かったらしく、米英は実に恐れていた

敵も戦争を終わらせたいのに、中々降伏しない日本に業を煮やしたようです

お互いに疲弊していたんでしょうかね

 

しかし、巷で言われるように米国は広島に落としたウラン型原爆、長崎上空で爆破させたプルトニウム型原爆のうち、比較的作りやすいプルトニウム型を120基保持していた

というのは嘘で、実は2基しか持っていなかった

その2基を日本に落としたのです

 

因みに今日のヤフーニュースで、3個目の原爆を落とす予定だったが、先に日本が降伏してきたという記事が上がってました

どちらが真相なんでしょうか

 

日本はというと、実は原爆数十基が出来上がっていて、長崎に原爆を落とした後に日本近海にいた米軍艦隊に原爆投下することを決め、天皇に了解を求めに謁見したと言います

 

しかし、天皇は広島、長崎の原爆を目の当たりにし、これほどの罪もない人々を犠牲にする兵器を使うべきではないと戒め、戦争の終結を決めたそうです

 

ですから、タイトルにあるように負けたのではなく日本が戦争を終わらせた

といいうことです

 

日本は限りある資源の中で高性能な戦闘機を数十基隠し持っていて、米英艦隊に原爆を投下したのち、米国での本土決戦に向け着々と準備していた

終戦間際の陸軍は狂っていたんじゃないかという物語を聞かされてきましたが、実は彼らは至って冷静で、この戦争でも勝利することに気持ちは一つだったようです

是非読んでみたい著書であります

 

原爆を落とした地も広島は数個ある候補地の上位を占め、軍事施設、軍需工場、軍隊と要所を締めていたことで、悪魔の標的になった

また、長崎はたまたま雲の晴れ間で市街地が見えたから、という理由みたいです

しれがキリスト教徒の多い地に落としてしまったという事でしょう

 

いまだに正統化してますけどね、アメリカさん

 

戦前の浦上天主堂

原爆で吹き飛ばされた天主堂、幻の長崎原爆ドームです

早々に取り壊されたのは、キリスト教会だからなのでしょう

 

現在の天主堂(原爆記念館)

 

米英にここまで恐れられる日本て凄いですね

その片鱗が今、自衛隊の存在感としてあります

米軍は自衛隊なくして南シナ海、東シナ海は守れないと言わしめています

 

軍事訓練をしても、何かのイベントで標的に命中させる大会があり日本はたった1発命中しなかっただけで、ダントツで優勝したそうですが、表彰式では浮かない表情でした

何故か尋ねたところ、1発当てられなかったというのです

 

各国の軍の皆さんは驚いたようですが、日本としてはその1発で自分が命を落としたのかもしれないということでしょう

どんな合同訓練をしても自衛隊の力量には全く勝てないとのことです

 

早く憲法改正をして、自衛隊の安全と日本の領土は日本が守りたいですよね

 

長崎原爆記念式典で長崎県知事の言葉を聞きながら「非核三原則」について考えました

ですが、世界の状況を見ると表立って核爆弾を持つわけには行かないけど、日本はいつでも原爆を作る技術も用意もあることを世界に知らせたいと考えてしまいました

 

因みに、日本軍が持っていた原子爆弾と戦闘機は米国が没収したそうです

その技術を見て、縮み上がったことでしょうね