中学2年生になる娘は家の事をほぼ何もせず育ってきました。

これは私の教育が悪かったと反省しています。

あれほど子育ての本を読み漁ってきたにも関わらず、この点に関しても失敗したと言えますね。

 

自主的に手伝いをしないという意味で、こちらから頼めば手伝ってくれることもあります。

 

自分でやった方が早いので、たまにしか頼まないですが・・・。

頼めば、お風呂掃除もしてくれるし、洗濯物も取り込んでくれる、たまにお茶も入れてくれます。

このように書くと、凄くいい子のような錯覚に陥るが、実際は、朝から晩まで私をこき使う天才なのです。

「ママー お茶」

「ママー 髪の毛乾かして」

「ママー アイロンかけて」

たまにはゆっくり座りたいなぁと思う私です。

 

頼めばやってくれることが、唯一の救いですが。

 

我が家は子供のお手伝いをご褒美制にしませんでした。

お皿洗い10円

お風呂掃除10円

など、よくあるご褒美(労働に対する報酬)に私自身抵抗がありましたので。

お手伝いというものは、相手を助ける行為なので、それに対してご褒美をあげるというのは、ボランティア精神から外れてしまう。

私なりの子育ての変なこだわりがあり、その結果中学生にもなって、母が体調悪くても家事のひとつ自主的にしないという有様です。

 

私の子供時代は両親共働きだった為、家の仕事が割り当てられていた。大した仕事ではないが、母が仕事が忙しい時には自分で食事を作って食べていた。

わが子は私が帰ってくるまで、たとえお腹が減っていても何も作らずスマホとゲームで時間を潰しながら待っています。

そして帰宅した私に向かい、第一声が

「お腹減ったー」

なのです。

 

そんな娘もお菓子は自分で作ります。

きっかけはバレンタインデーの友チョコ交換。

私は手作りに抵抗があるので、4年生くらいまでは友チョコ交換も買ったチョコにさせていました。

しかし高学年になるにつれ、子供が自分も手作りチョコをあげたいと言い始めたので、そうすることにしました。

チョコを作ったことをきっかけに、たまにお菓子を作るようになりました。お手伝いではないが、キッチンに立っている子供の姿を見るだけで母は満足なのです。

もっと早くやらせれば良かったなと思いました。

 

朝たまに見かける、大きなゴミ袋を持って登校途中にゴミ捨て場に捨てに行く子供。

「こんな風に育ってほしかった」と思います。

 

私は子供にお手伝いをしてほしいのか?

それはなぜなのか?

を考えてみました。

 

たどりついた結論は。

 

私は日常的に何か家事を子供に負担してほしいのではなく、家族が疲れてたり、大変そうな様子を感じ取って手を差し伸べる人になって欲しいということ。

 

本来、お手伝いとはそういう意味なのではないでしょうか。

 

10年後にこの子がそんな人に育ってくれていたら、きっと子育ては成功といえるのにな。

 

では本日の一曲

変態紳士クラブ

「好きにやる」

 

 

彼らの価値観を象徴しているような歌詞をお聴きください。