6、重源上人像 | よしやんのブログ

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法隆寺は奇跡の寺。謎の寺。不思議がいっぱい。
この寺と斑鳩の自然、文化遺産を後世に伝えたい。

平家の焼き討ちで灰燼にきした東大寺を再建した不屈の人、信念の人重源を取り上げます。さきに無著・世親像について、精神をも鑿(のみ)で表現した運慶の傑作と書きましたが、この重源像も現実の人間の肖像彫刻としては写実性にとんだ名品で、日本人を対象とした彫刻では最高傑作といえるでしょう。重源像は東大寺鐘楼脇の俊乗堂に安置されているので、俊乗房重源上人像(国宝)といわれていますが、作者は誰かということです。

 

運慶説が多く、東京国立博物館での運慶展でも運慶の作品として展示されたのですが、決定的な証拠が不足し、異論を唱える人もあります。そういう人でも当時最高の仏師たちの集団であった運慶工房で作られたらしいことはほぼ認められています。(私は運慶説)

なお重源は、60歳で東大寺造営の資金集めから、工人の組織などを取り仕切る「大勧進」に任命され、三回も宋に渡るなど、20年の艱難辛苦の末、東大寺再建に導いた人です。

 

重源像の一体だけでは寂しいので、この時期の運慶の傑作「制た迦童子立像」(国宝、せいたかどうじりゅうぞう)を取り上げます。

願成就院蔵      画像は二点とも朝日新聞出版「運慶への招待」から

 

運慶のすぐれた仏師としての名声は広く轟いていたので、願主もこのような像を自由に制作させたのではないでしょうか。