八一歌碑(その4)-法隆寺西院 | よしやんのブログ

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法隆寺は奇跡の寺。謎の寺。不思議がいっぱい。
この寺と斑鳩の自然、文化遺産を後世に伝えたい。

法隆寺西院の三経院横に奈良で一番新しい八一歌碑があります。

この歌碑の話を進める前に、ここで会津八一の人物像について述べます。

會津八一(18811956)は新潟生まれの歌人、美術史家、書家、早稲田大学教授。秋艸道人(しゅうそうどうじん)とか渾斎(こんさい)などと称しました。

大学では英文学を専攻し、小泉八雲や坪内逍遥の教えをうけ、卒業後は英語の教師になりましたが、27 歳の時、はじめて奈良を訪ね、いっぺんに奈良の魅力のとりこになりました。奈良の美術や古仏を研究、生涯で35 回にわたって奈良を訪問、その感動を歌に詠み、書に書き、出会った仏像や古建築について論文にまとめました。

こうして英文学を離れ、東洋美術、東洋史学の研究に打ち込むようになりました。

 

 本名の八一は1日生まれに由来。彼は、友達と余り付き合わず、図書館に行っては読書に熱中し、また酒をよく飲んだため、身体をこわすこともよくあったといわれます。

 八一は気にいった相手とは、長時間語ることもありましたが、無礼や不愉快に感じた時には、大喝して追出したり、陂門や絶交を宣告したといわれます。

 授業では、教科書をほとんど使わず、星座の話、ギリシア神話、奈良の仏像や寺など、学生の心を豊かにする話をしました。教え子の中には、画家、小説家、天文学者、詩人になった人達もいます。

 なお、彼は美人の画学生・渡辺文子に恋をし、生涯思い続け、結局一生結婚をせず、独身を通しました。

 

さて、法隆寺西院の八一歌碑

 

ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせを ひとひの ごとく たてる

この たふ

 

 

(歌意)千年を越えて1300年を、まるで1日のごとく、

この五重塔はたっている。

ちとせあまり(千年をこえて) ももとせ(百年)

みたびめぐれる(3回めぐってきた)

 

合わせて千三百年のこと。それをこのように表現して、悠久の長さを感じさせています。歌の題に「五重塔をあふぎみて」とあります。

八一は、この歌碑が将来作られる時は五重塔が良く見える場所に設置して欲しいと希望していたといわれ、その通りの位置にあります。