我が家でだけ、まだブームが終わらないなめこ栽培。数あるなめこの中でも、日の出なめこが大好きで、原木をまるまる日の出なめこだらけにすることに挑戦していたこの数週間。大変だったぶん、かわいさもひとしお。
さて今日は土曜だけど、息子の学校があった。公開授業の日だ。教科は道徳。『いただいた命』という、小学生の女の子が白血病にかかるお話で、最後には助かるものの、音読を聞いていて思わず涙ぐんでしまった。
和やかに授業は進み、息子も何度か発言し、平和なまま終了するかに思えた残り15分。先生がまとめに入ろうとしたその時に、息子が手を挙げた。そこからの私の、感情のローラーコースターを書き記しておきます。
命をいただく、ということについて。献血した人から命をいただいたと思うのは納得できるが、応援してくれた家族や友達、お医者さんや看護師さんからは『命をいただいた』わけじゃないと思う、と息子。
それまでの授業の流れ(みんなから命をいただいて、生きているんだね)をぶった斬るような発言に、まず誰よりも私がびっくり。え、なに、アスペなの、サイコパスなの、それとも逆張りマンなの。
先生も苦笑いする中、何人かのお友達が、いやいやいや、彼女を助けようとしてくれたみんなの気持ちが、彼女を救ったんだから、という内容の発言をして、軌道修正を試みてくれたのだけど、息子は再度挙手し、「言いたいことはわかるけど、やっぱり『命をいただいた』のは献血した人からで、他は別に、違うと思います」などと言う。
クラスの1/3くらいの子たちが、息子の発言により普通に混乱して、たしかに…、わかんないなこれ…、みたいになっちゃってる。やめてー。命はみんなからいただいたもの、でFAよー。だから大切にしましょうね、っていう授業のはずよー。息子の情操教育、どこかで間違えたんか私。
とにかくもうショックというか、自分の子だけど、なにを考えてるかまったく理解できない、という衝撃を抱えて、教室を後にした。息子と約束をしたので、校門で帰りの会が終わるのを待つ。
しばらくすると息子が出てきて、家まで一緒に歩いて帰った。「どうだった?今日の授業?」と息子が聞いてくる。頭ごなしに彼の意見を否定するのは絶対に違う気がして、うーん、みんなよく手を挙げてて、活気があってよかったね、とかなんとか答える。
すると息子が満足そうに、「ボクね、みんなの考えをもっともっと深めるために、わざと反対の意見を言ってみたんだ、あれ、よかったでしょ?」と続けたではないか。え、わざと…。
そういえば以前先生から、むすこ君の発言をきっかけに、思わぬ気づきがあったり、理解が深まったりすることがあります。と褒めていただいたことがある。これが、それなのか。
でも今日のやり方だと、息子本人は“あえて”言っているつもりでも、周りにはそれがわからないし、本気のヤバいやつ認定されちゃう危険もある。明らかにみんなと違う意見を言う時は、自分なりの着地の仕方まで準備した上でやった方がいいよ、と伝えた。
なるほどね、と息子。このことについて実際には、2人でだいぶ長く話し合ったのだけど、割愛する。息子も本当は、みんなから命をいただいてる、ってことはちゃんとわかってるんだって。それが聞けて安心したよ。
献血してくれた人、応援してくれた家族や友達、お医者さんや看護師さん、さらには血となり肉となってくれている牛や豚や野菜や果物、なんなら小石からも太陽からも、なにかの形で命をいただいて、生きてるんだよね。
