マンションの通路で珍しくバッタを見つけて捕まえて、草むらに戻してあげた息子。以前は虫を触るのが苦手だったけど、先日の那須旅行でとんでもない数のトンボを捕まえて以来、なにかが吹っ切れたみたいだ。

 

那須のトンボは人に対する警戒心がゼロで、面白いくらいすぐに捕まえることができた。キャッチアンドリリース、いったい何匹捕まえただろう。息子本人が「(どんくさい)ボクにさえ捕まるトンボって、まじでやばくない?」と嬉しそうにはしゃいでいた。

 

 
ところで今日は、とてもショッキングな話を聞いた。友人のお子さんが自殺未遂で運ばれたというのだ。最後に会ったのは、まだコロナ前だったから2019年か。友人と、お子さんたちと、みんなでご飯を食べ、公園を散歩した。その時の、優しい空気をよく覚えている。
 
実はお子さんに希死念慮というものがあり、何度か危険な状態になって措置入院を経験されているんだとか。今回は血だらけの部屋で倒れており、病院に搬送された時点では呼吸が停止していたとのこと。
 
彼女のSNSの、私はファンといっても過言ではないくらいの熱心な読者(?)で、面白い言葉を紡ぐなあと、いつも興味深く読んでいた。でもまさかお子さんがそんな状態になっていたなんて知らなかった。
 
 
私は心配性な母親なので、交通事故や、誘拐や拉致や、難病やいじめや大地震や隕石の落下などのニュースを聞いたり見たりするたびに、なんでもかんでも「もし息子が巻き込まれたら…」という視点で考えてしまう。
 
でもこの、希死念慮というものに関しては、まったく想像ができなかった。それを抱いてしまう息子が想像できない、そのくらい自分にとって、縁遠いものだった。
 
そういえば全然関係ないけれど、地元の幼馴染と、大人になってからもずっと交流があって、お互い「心の友」などと呼び合ってもいたけれど、数年前、彼女のお子さんが中学から不登校で、普通の高校には進学しなかったことを知った。青天の霹靂だった。言わないだけで、ひとにはいろいろな事情があるのだ。
 
 
友人にかける言葉も見当たらず、昔のことを思い出す。彼女と初めて会った日の新宿御苑。私につらいことがあった日に、絶妙な距離感で話を聞いてくれたこと。私とは全然違う彼女の性格が好きで、憧れと羨ましさが混ざったような気持ちで、彼女の話を聞いたこと。またどこかで会いたいよ、と思った。無事でよかったよ、と思った。