夜中にトイレに起きたらすぐ隣に息子が寝ていて、なにやらお腹のあたりがふくらんでいる。オレンジの灯りをつけてみると、ぬいぐるみのマルネズミがおズボンのゴムに挟んであった。暑そう。


最近、『怪獣8号』の影響で怖がりが加速している(でも見たいジレンマ)から、心細くなってマルネズミを仕込んだのだろうか。かわいくてたまらない。



怖いといえば一昨日は私も、とんでもなく怖いことがあって夜に大泣きしてしまった。吐き出しちゃおう。



お友達や息子とご飯を食べに行った時に、お友達が自転車に忘れ物をして、取りに行った。自転車は歩いて20秒くらいのところに置いてあった。後から息子がお友達を追ったのに、しばらくしてお友達だけが戻ってきた。あれ?息子がいない?


どこにも姿が見えないので、私とママ友さんが自転車で捜索するも見つからない。

結論から言うと、息子はお友達が“家に”忘れ物をしたのだと勘違いし、追いかけて行ったとのこと。家まで徒歩10分。お友達と会えなくて戻ってきたのだけど、戻る時にふと、通学路を通らねばと思い直し、遠回りをして戻ってきたので、捜索していた大人とは遭遇しなかった。


なーんだ、という感じだけど、いるはずの息子が急にいなくなった、大人2人で探しているのに会えない、どうしようどうしよう誰かにさらわれていたらと、その数分の間、血の気がひいて頭がおかしくなりそうだった。



そのことを夜にふと思い出し、涙が止まらなくなったというわけ。本当に怖かった。悪い妄想が後から後からわいてきて、怖かった。


子供がいなくなる系の小説や、ノンフィクションを読むと、「この時は、これが最後の挨拶になるとは思っていませんでした」とか、「いつもと変わらない朝だったのに、このあと悲劇が起こったのです」みたいなことが必ずといっていい程書かれている。


そうなのだ、事件や事故は、日常の延長に、ふと起こるのだ。考えすぎだよ、心配しすぎだよ、と周りの人から笑われても、つい思い出してしまうんだよね。娘さんを亡くしたあの、どこかのお母さんだって、まさか自分の身にこんな不幸がふりかかるだなんて、想像すらしていなかったんだから。



ああでも、無事でよかった。ちょっと愛が重たいかもしれないけど、本当にこの子は私の宝物だよ。安心したらまた涙が止まらなくなって、最後はもうなんで泣いているんだかわからないくらい泣いた。