夏休み中は、息子と一緒に家を出ている。学校と違って学童は、決まった時間に行く必要もないしね。自分が子供の頃は、夏休みなんて好きな時間に起きて好きなことをしていたのに、私がワーママのため、息子にはそうさせてあげられない罪悪感も少しあり。
息子が、ママと一緒に行きたい!と言ってくれるので、朝は2人で、お散歩するような気持ちで手を繋いで歩く。こういうのも、今年までかなあ。3年生になったらさすがに、手は繋がないだろうなあ。
歩いていたら息子が、地面に蝉がいるのを見つけた。死んではいないようだけど、ひっくり返ってかなり弱っている。じじ…、じじ…。息子は小さな頃から虫がそんなに好きではなかった。どちらかというと怖がっていて、カマキリなんかを見つけても、捕まえるのは夫や私の役目だったし。
だけど今日の蝉は放っておけなかったようで(弱々しく鳴いていたので、危険はナイと判断したのかも)、優しくつまんで、木のたくさんはえている安全な場所まで運んであげていた。もしあと少しの命だとしても、せめて穏やかに死んでいけますように。車に轢かれたりなんかしませんように。
朝からそんな息子の姿を見て、こちらも優しい気持ちになったよ。
本筋とはまるで無関係ながらも驚いたのが、結婚や嫁、家というものに対する感覚の違い。うわー、昭和ってこうだったな、と思いながら読み、嫌悪感でぞわぞわした。登場人物があまりにもナチュラルに男尊女卑をしていて、当時はこれが普通だったんだもんなあ、今の時代に生きられて良かったなあと、感謝の気持ちでいっぱいになった。
でももしかして、今から30年くらい経ったら、未来の人々から、令和の結婚観って酷かったんだねえ、などと言われているかもしれない。考えてみると、なんだか面白い。
ストーリー的には、腑に落ちないこともいくつかあって、もしかしてそれは人知の及ばない神の領域、ということなのかもしれないけれど、ただ単に作者の力不足のようでもあり、敢えてその謎を残しているのかなんなのか、中途半端だと思った。
宗教を扱う作品って特に、その辺の塩梅が難しいよね。ナンデモアリになっちゃうと、白けてしまう。でも、篠田節子の文章が非常に美しくて端正なので、読んでいて絶妙に馬鹿馬鹿しくならないところがとてもよかった。

