今日は息子のサッカーの後、家族で映画を観に行った。


土曜日午前中のサッカーが8時~10時までの枠だと、11時からのダンスレッスンも出られるのだけど、時間がズレて10時半〜12時半になり、ダンスはお休み。もう1ヶ月近くダンスに行けていない。そろそろ掛け持ちも潮時か?続けられるだけ続けたいけどさ。



閑話休題。妖怪ウォッチの映画が昨日から公開されたので、ウキウキの息子を連れてバスに乗る。先着何名様だかに新しい妖怪メダルがもらえた。やったね。


映画は息子だけでなく、私も普通に楽しめた。少し上映時間が短く、物足りなかったくらい。途中隣に座る息子をふと見ると、ずっとニコニコ満面の笑みを浮かべていて、たまに小さな声をあげて笑っている。ぬぁーんてかわいいのだろう!と幸せな気分になれた。


帰りがてら、たいやき屋さんに。ポケモンとコラボしているコイキング焼を見つけ、味もよく確認せず、それを選んでいた。「絶対コイキング焼!なんでもいいからコイキング焼!」


いや普段コイキングなんて見向きもしないのに(スカーレットバイオレットでもまだゲットしていないそう)、愛が重ためのファンみたいな熱量で笑う。

『八日目の蝉』角田光代

やっと読み終えた。以前、映画版を観た時に、タイトルの意味がよくわからず、なんだかなあ?と思っていたので、いつか原作をきちんと読まねば!とずっと頭に残っていた。

読んで、圧倒される。小説でしか表現できないものがあるんだ、と痛感した。あまりにも心を動かされ、映画版も再視聴。いや、これただあらすじを映像にしているだけだよ、役者さんは熱演しているけど、ひとの哀しさも愚かさも諦めも愛も、小説の10分の1も伝わらない。たった2時間に収まるような内容じゃないもの。

むしろ、なぜ映画化しようと思ったんだろう。なぜ映画化できると思えたんだろう。映画版の悪口が何千文字も書けそう。

小説の中では、いくつもの言葉を積み重ね、丁寧に描かれる主人公たちの心の声。こちらの胸に容赦なく突き刺さってくる。誰が悪いかとか、どうするのが正しかったのかとか、そういう道徳の話ではない。母の愛とはなにか、でもない。すごい。作中に出てきた、どうしようもなく母親なのだという言葉が、胸に迫った。