2日で1冊、ぐらいのペースで軽めの小説を読んでいます。
最近読んだ中で一番好きだったのがこちら。
『抱擁、あるいはライスには塩を』 江國香織の、比較的新しい作品です。

巻末の解説でも触れられていた通り、
彼女がタイトルの名手であることに異論はありません。
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』や、『号泣する準備はできていた』なんて、
私もとても好きです。
『雨はコーラが飲めない』とかさ。

でも、『あるいはライスには塩を』は、ないわー。
と、図書館でこの本を手に取りつつうっすら思っておりました。

作品を読めばそれが、菊ちゃん、百合ちゃん、桐叔父の3人にとって、
どんなに大切な意味を持った言葉かは理解できるけれども、
それそっちのけで強烈に思い出すことがあります。画像の下の方に書かれた情報に注目。

村上龍、『限りなく透明に近いブルー』が、一番初めはこんなタイトルだったということ・・・
『あるいはライスには塩を』というタイトルを今回目にして、
久し振りに思い出してしまいました・・・


閑話休題。


なにがよかったって、まずとにかく文章が上手いです。
読んでいて本当に気持ちが良い。
ここ何回か、図書館に入って一番入口に近い、「ア行の作家」の本棚から本を適当に借りる、
ということを凝りもせず続けているため、
好みの本も、そうじゃない本も、今まで敬遠していた作家の本も、新人の本も文豪の本も、
手当たり次第読んでおりますが、
そのせいか、彼女の作品を読んだときの安心感ったらありませんでした。

どんな作家の本にもそれぞれ違った良さが存在するし、
文章が上手い、ということと、作品の面白さはイコールではないけれど、
とにかく彼女の言葉の選び方や文章の並べ方、文字の使い方は、
丸くてすべっこい小さな冷たい石ころのように、
いつまでも手の平で転がしていたい気持ち良さなのです。

私は別に彼女のファンではなく、作品によっては、嫌い!と思うことも多いですが、
それでもそのほとんどを少なくとも一度は読んできました。
そのぐらい私にとって、価値のある魅力的な文章です。


今回は、話の内容の方もよかったです。
ある一族に起こったことが、いろんな人の視点で語られます。
視点も、時代も、章ごとに目まぐるしく変わります。
それが(当たり前ですが)全部繋がっていて、最後まで読むと、
ひとつのくっきりした物語が胸の中にいきなり現れます。くっきり。
幸福も、残酷も、哀しみも、ぬくもりも、全部くっきりと、現れるのです。
素晴らしいのひとこと。


視点と時間がジャンプする小説といえば、
つい先日、伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』を読みました。
何人もの視点、というわけではありませんが、
あちらも、現在と2年前、琴美と椎名の視点を行ったり来たりする作品です。

吸引力の強いエンターテイメント・ミステリーでした。
ちょっと癖のある比喩や台詞や展開が、「面白いの思いついたから書いておこう」
みたいな感じで脈絡なく出てくるのがやっぱり鼻につく、というか、
いや、脈絡はあるのかもしれないけど必然性がない、
悪い意味でも良い意味でも、歌謡曲の歌詞のような相変わらずの文章です。

ひと癖ある比喩と言えば・・・
(って、伊坂氏の話題になるといちいち村上春樹を引き合いに出す自分に我ながら呆れますが)
例えば『ノルウェイの森』の、
「春の熊くらい好きだよ」
を読んだ時のあの、
すごく変な例えではあるけど、なぜかものすごくしっくりくる。わかる、伝わる。
という感動がいまいちない。
なんか奇をてらって滑ってるわこのひと、なんて思って白けてしまう。

でも彼は江國香織とも村上春樹とも違ってミステリー作家なので、
文章ガー、とか、比喩ガー、と小姑みたいにネチネチ突っ込むのは良くないですね。
読者をあっと驚かすために作品に散りばめられたトリック、
それを堪能して、はらはらどきどき振り回されるのが、一番良い読み方なのでしょう。
うん。ごめん。