#生後15ヶ月 462days
保育園からの帰り道に会う、大きな黒い犬。この写真だと全長がわからないかな、息子が余裕で跨がれそうな大きさです。
彼の名は、セブンくん。

息子は会うたびに指さして「にゃんにゃ、にゃんにゃ」って言います。にゃんにゃじゃなくて、わんわだけど、今のところ息子にとっては、猫も犬もヤギも熊も、鳩さえも「にゃんにゃ」なのです。

大きな犬ですが、毎日毎日見かけるせいか、まったく臆することなく近づいて行くので、私の方がヒヤヒヤします。
犬と赤ちゃんの仲良しホッコリ動画、みたいなやつがよくネットなんかにありますが、中には幼児嫌いな犬もいるみたいだし、こちらが気をつけねば…。何か事故でも起こったら犬にも飼い主さんにもご迷惑がかかってしまいます。


さて、最近読んだ育児書に、自分にとってすごくしっくりくるキーワードがありました。

それは、「感情の言語化」というものです。

赤ちゃんが、何かに怒ったり、不快を感じたりした場合、「悲しいんだね」「嫌だったんだね」という風に、その心のモヤモヤに名前をつけてあげることで、いったん落ち着くんだそうです。
「これがクヤシイっていう気持ちなんだ」とか、「これはサミシイなんだ」とか。
確かに、ただただわけもわからず心がザワザワしてるよりも、その感情に名前があることがわかった方が、きちんと整理できる気がします。


私は思春期の頃、今考えると“依存”といっても過言じゃないくらい読書が好きでした。その時に私が読書に求めていたことって、まさに「感情の言語化」だったと、今回育児書を読んで思いました。

例えば、村上龍が『コインロッカーベイビーズ』の中でキクに言わせていた言葉。
「自分の欲しいものが何かわかっていない奴は石になればいいんだ、あのあけびの女王は偉いよ、だって欲しいものが何かわかってない奴は、欲しいものを手に入れることできないだろう?
石と同じだ、あのバカな娘はずっと石のままだったらよかったんだ」

あの頃自分の周りにいた、ブランドを買い漁る女友達を見てモヤモヤしていた私の、その謎のモヤモヤをすっきり説明してくれた台詞でした。
嫉妬でも、ましてや羨望でもない。でも、どうして自分がモヤモヤするのかうまく言えない。それを、キクの言葉が説明してくれました。


そう、そうなの。私が思っていたのってソレなの。でも自分じゃ上手にまとめられなかったの。どうしてこんなにピッタリの言葉で表現できるんだろう。この人はなぜ、私が思っていたことを代弁してくれるんだろう。
読書することは、そういう、(古い単語ですが)アハ体験の連続でした。

当時のザ・王道、村上龍、山田詠美、江國香織、吉本ばなな、もう少し大人になってから村上春樹。それに坂口安吾や夏目漱石などなどなど。漫画だったら岡崎京子。

グチャグチャで説明できない自分の複雑な感情が言語化されるのって、ひとまずホッとする感覚でした。


赤ちゃんにとっても、嬉しいねとか楽しいねとかだけじゃなくて、いま怒ってるんだねみたいなネガティヴな気持ちでも、いったん認めて言葉にしてあげることって大事なのかなあと、すごく納得できたのでした。最後は唐突に、本日のランチ。
虎ノ門にある美味しいビストロでした。また行きたいなー。

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■明け方の咳がちょっと悪化してきた
■入浴前に寝そうで母洗う間部屋で待機
■歯磨き→動画抱っこ、今日も成功