最近仕事でお使いに行くことが多くて、
電車に乗って代々木に行き飯田橋に行き、
また日本橋まで帰って来るのだけど、
おかげでたくさん本を読めるので楽しい。

私は本が好きだ。

私は小さい頃に、木の上に基地を作ったり戦争ごっこをしたりもしょっちゅうしたけれど、
それよりもっと多くの時間を、公民館の図書室で本を読むことに費やした。
古くてベタな文学全集や推理小説やずっこけシリーズだとかを手当たり次第、
飢えた動物みたいにガツガツと貪り読んだ。
私は私が本を読んでいる時は、読んでいるんじゃなくて、「吸収している」んだといつも思った。

大人になったら、読書は気楽な趣味の1つになり、じゃあ次は何を読もうかなーって時には、
友達のオススメの本を薦められるままに読むのが楽しい。
あの人はどうしてこの本を私に薦めたんだろうとか、
この本のどこがあの人にとって特別なんだろうとか、
考えながら読むのは楽しい。

こないだ友達が貸してくれた本を読み終えた。
『人生の地図』 高橋 歩
『Laundry』 森 淳一


私はいわゆる名言集の類がどうも好きになれないが、この本は良かった。
写真がすごくすごく魅力的だった。
それから、綺麗な言葉を幾つか見つけた。
あとは、胸に痛い言葉も幾つか見つけた。

シェイクスピアは
愛は万人に、信頼は少数の人に。
と言った。

昨日『人生の地図』を読み終わってからずっと考えているのにうまく説明できないんだけど、
このシェイクスピアの言葉はとても重たい。
だって私も、ほんとうにそうだと思うから。
別に、人を簡単に信じないとか、そーゆーことじゃなくて。

信頼。

英語の、trust と believe の違いを、いつか教えてもらったことがある。
例えば誰かから、
「I'm a bad」
と言われた時に。

あなたの言う言葉を信じる、だからあなたは悪者なのね。
っていうのが believe で、

あなたが何を言っても、あなたのことを信じる。あなたは悪者じゃない。
っていうのが trust なんだって。

trust。

私は私の好きだった人にとって、
信頼するに足る、一握りの人間でありたかった。
でもそうだっただろうか?
そうじゃなかったような気が、いつもしている。
だからきっと、シェイクスピアの言葉が哀しいんだ。

ただ嘘をつかないとか、騙さないとか、そんな話じゃなくて。

この人といれば大丈夫。だからこの人といたい。
この人と一緒にいることが、自分の人生を素晴らしくするんだ。

って、そうなぜだか信じてしまえることが、信頼なんだと思う。

何かの作品だかエッセイだか忘れてしまったけれど、
漱石も書いていた。

私は死ぬ前にたった一人で好いから他人(ひと)を信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。


わかるなー。
すっごくわかる。
って、全然わかってないのかもしれないけど。
あー、なんだか感傷的になってしまった。

ところで『Laundry』の方にも、こんなシーンを発見。


「まあ、あんたがどう思っているか知らないけど、
 取りあえずヤツはあんたを裏切らねえ。それは絶対だ」
私は目を伏せ、黙っていた。
「自分を裏切らねえと思えるヤツは、そういるもんじゃない」
「だったら私が裏切るね」
「裏切らねえよ。今こうしてここにいるじゃねえか」

映画化されてるみたいだから、観てみたいなー。
どんな風にあのセリフを言うんだろ。

こういうの地球ではアイって言うんだよ
宇宙では知らないけどね