2009年のバンクーバーで、私は3ヶ月間 VIC という語学学校に通っておりました。
今夜はその学校のSales & Marketing Director であられる Shigeo 氏が、
仕事の都合で来日しているということで同窓会が開催されました。
Shinjuku House cafe & bar : 新宿区新宿5丁目17-6 中田ビル2F私が学校にいたのはたった3ヵ月なので知り合いが少ない上に、
ランチ仲間だった日本人は出身が沖縄だったり、京都の大学に通っていたりで、
今夜はもちろん不参加です。
さらに、今回集まったおよそ50人の中で、
古い生徒さんはもう11年前の方ということもあり、
(みんなバンクーバーに滞在していた期間がバラバラ)
想像していたようないわゆる “同窓会” とは違いましたが、
元気そうなシゲオサンに久しぶりにお会いできて嬉しかったです。

こうやってわいわい元気にやってると、どうしていつもこうじゃないんだろう?なんて、
子供じみてふてくされそうになります。
コッチがいつもだったらいいのに。コッチの私が。
前に小説家として人気の女性が、
そういうのは非常に 「幼稚」 で、「ゆがんでいる」 と言っていました。
いつもの仲間といる時だけ自分を解放できるということが、です。
そんな風に限られた人の前でだけ自分になれるなんておかしい、と。
では、いつでもどこでも素の自分をさらけ出していいのか!?
と問われれば、そんなものはいいに決まっている、
もしいつでもどこでもさらけ出しては困るような自分が本当の自分であるならば、
それこそ、性格を直した方がいいんじゃないか、
と、(実のところ文脈はとうに忘れてしまったのですが、)
だいたいそういうご意見でした。
でもそんな言いぶんってある?
という鈍い憤りが、私の最初の感想でした。
ほとんどの日本人は普通にしがない社会生活を送っていて、
上司や、取引先や、部下や、良い人や、苦手な人が、いろいろ混ざって周りにいて、
その中の一社員として生きています。
我慢したり、愛想笑いをしたり、出かかった言葉を飲み込んだり、
必要であればそうして生きています。
小説家として成功している彼女はそういうことを知りもしないくせに、
そんなふうに言って欲しくない、
と私は思ったのです。
でもその後、あの小説家が言いたかったのは、
常に「同じ」 自分でいるのが当然、そうじゃなきゃ変だ、ということではなくて、
こっちの俺が「本当」、あっちの俺は偽物、
という分別の仕方が変だ、ってことだったのかなぁ・・・と、考え直しました。
まぁよくわかんないですね。作者の真意なんて。国語のテストみたい。
望んでも望まなくても、
バンクーバーで同じ学校に通ってた友達とお酒を飲んでいる自分と、
入社して3ヵ月の会社で精一杯頑張ってる自分は、全然違う。
それこそまったく別人のようだと思う。
でもあの小説家の言葉を引用するまでもなく、
どちらかが本当の自分、ということではなくて、
マイペースに笑っていても、委縮してしょげていても、
両方本当に私なんだけど。
でも、ただ、
コッチがいつもならいいのに。
と、切実に思ったのでした。その空間の自分でいることがあまりにも楽ちんで。
会社と、飲み会と、
飲み会の方が気楽なのは当たり前か。
ああなんだかもうよくわからない。
私は煙草を吸ったことがないけれど、
バンクーバーにいる時に何度か、
学校の横の路地で喫煙している友達に混ざったことがあります。
今日も一緒に店の外に出て、道の端でしゃがんだりさ、ちょっと懐かしい。
早く今の会社や仕事に慣れて、
リラックスできる環境をつくろう、
そして頑張って働こう、って思いました。
