胃袋の正確な場所はよくわからないんだけど時々内臓の一部がシクシクしたりすると、
「胃が痛いー」
と言ってしまう。

ほんとはそれが、胃なのか何なのか知らない。
肺かもしれないし、心臓かもしれないし、肝臓とか膵臓なのかもしれない。


それにしても、「痛い」は、すごいと思う。
虫歯がもしも少しも痛くなかったら、
私はその歯が完全に腐ってしまうまで、異変に気づくことができない。


私はそういえば胃袋の場所以外にも、
身体の中のことをあまりわかっていないけれど、
そんなことわかっていなくてもこんなに複雑なシステムがちゃんと機能して、
私はしっかり生きれていて、

そのことに感動した。ついさっき。


自分の胃袋の位置すらわからないくせに、
その胃袋で食べ物を消化して普通に生きている。
生き物の仕組みってものには本当に時々感動させられる。


タフな内臓が欲しい。タフな手足が欲しい。
さらに精神的な意味においても、
私はもっとタフになりたい。


とにかく私は今いろんな面で恵まれているのだから、
もうちょっと頑張れてもいいはずである。頑張ろう。

いったん何かに、あるいは誰かに、
甘え始めるとたぶんキリがなくなってしまう。
際限なく甘えて、いつしかそれが普通になり、
甘えてること自体に気付かなくなってしまうかもしれない。


私は、「人という漢字は2人の人間が支え合っている姿である」といった類の話が、
鳥肌が立つくらいに嫌いです。
別に人間同士が支え合うということに関しては何の問題もなく、むしろ大賛成ですが、
「人」という漢字は、
1人の人間が自分の2本の足で立っている姿のはずです。

そーゆーことを無視して、都合よくこじつけて
「なるほど」みたいな気分にはどうもなりたくない。


これは誰かに対する批判ではなくて純粋に疑問だけど、
自分で自分を支えることができなくて、
他人を支えることなんてできるんだろうか?
半人前が2人寄り添ったら、それは1人前になるんだろうか?

赤ちゃんは、別の赤ちゃんを支えることができない。

テリーマンがピンチの時、キン肉マンなら彼を支えることができる。
それはテリーマンもキン肉マンも、それぞれがちゃんと一人で立ってるからだと思う。

キン肉マンといえば、あの漫画を読んでるとすごく自然に理解できるけど、
一番強いのは、負けない超人ではなく、負けても生き返る超人だ。
一度死んでも、いつの間にか生還しているくらいでなくちゃ。
これと同じようなことを村上春樹も何度か書いている。

私の話はよく逸れて、元に戻る道を見失うことがほとんどだけど、
今回は珍しく軌道修正ができました。

そう。私はタフになりたいです。

私は「自分が恵まれた環境にいる」んだってことを忘れてしまわずに、
ないものねだりをせずに、
いつも心安らかでいたいです。

私にとって、タフとは、安らかである、ということと近いです。