#生後15ヶ月 470days息子のお腹ぽっこりがスゴすぎて、いろんな角度から撮ってみました…。
これは夕食後、母がお風呂の準備をする間に「はらぺこあおむし」の動画を見て待機しているところです。


普段、移動中や家事をしている時にYouTubeを見せることはほぼなく、毎日夕方、歯磨きするタイミングでのみ「はらぺこあおむし」の動画を見てOK!という“特別感”を演出し、おとなしく仕上げ磨きをさせて貰っています。で、その動画が5分あるので、歯磨きを終えてしばらく息子がYouTubeに釘付けになっている隙に、お風呂とベッドの支度をパパっとする流れです。
いつまでうまくいくかわからないけど。
今日また図書館で借りた育児書を読んでいて「ほーん」と思ったことがありました。段階を踏まずにポジティブを押しつけない、ということ。
例えば、すごくお散歩に行きたかったのに雨が降って行けなくなって、子供が泣いて駄々をこねているとします。
その時に良かれと思って「お散歩に行けないけど、家で遊べばいいでしょ。泣かないで」と言うんじゃなくて、その前にワンクッション「そうだね。お散歩に行きたかったね。行けなくて悲しいね」と置くということです。
これについては、私もモヤモヤしたことが何度もあって、ブログにも度々書いた記憶があります。
何か嫌なことがあって、悔しくて、怒りが湧いてきて、それなのにそういうネガテイブな発言は一切しない。それって前向きなのか。
極端な例だけど、病気になって入院をして、痛い思いをしたのに弱音も吐かず、「でもこの病気のおかげで健康の大切さに気づけた」って笑ってる、みたいな。
それは確かに、最終的にはそうなれたら理想的なんだろうけど、じゃあそこで、痛いとか嫌だとか辛いと感じた自分は、どこに行ってしまうのか、といつも思います。ネガティブな自分は「なかったこと」にしてしまうのが、正しいのか。
「なかったこと」にし続けていたら、そのうちポジティブな人間になれるのか。
私には、いったんその悲しみをちゃんと悲しんで、その痛みをちゃんと痛がって、それから立ち直った方が良いように思えるのです。
まあ1歳児に当てはめると、そんなにオーバーな話ではなくて、ちょっと転んで泣いたりした時に「これくらいで泣くんじゃない」って言うことが、たくましく育てるってことではない。「痛かったね。泣いてもいいんだよ」って一緒に立ち止まって、泣きやんだらまた前に進めばいいじゃない、ってことです。
そうしているうちに人間は、いつの間にかたくましさを身につけているのです。
痛みを乗り越えることと、痛みを「なかったことにする」ことは、上辺だけ見たら似ているけど、実際には全然違って、子育てする上では当然、痛みを乗り越えられる子を育てられた方が良いわけです。
そうだよ、そうだよな。と思いながら、ページをめくりました。考えてみると私の人生には何人かそんな風に、優しくて大きなお母さんみたいに、私の悲しみごとを包んでくれる友達がいました。
その人たちのおかげできっと私は、こうして大人になれたんだなと、はっきり感謝しています。ありがたいです。
本日のランチは、俺の焼肉でした。美味しかったー!-----
■自力鼻水吸引器は初日以降怖気づく
■先生に肩車され「パパ、パパ!」
■夕飯おかず完食、ご飯半分残す