朝ご飯に、頂き物のびっくりどら焼きを食べました。我が家には冷凍の今川焼きが常備されているし、
出先でもたまにタイヤキを買い食いしたりしている私は、
ちょっとした餡子好きではあるのですが、
これはどうもトゥーマッチだったのでした。
どら焼きの皮に対して餡子の割合が高すぎると、
歯茎がこう、ぞわぞわします。どうしてでしょう。
そんな本日のランチは友達と、会社の近所の洋食屋さんに行きました。
盛り合わせのカツがね、
どれもすごく大きいんですが写真だと伝わりませんね。
洋食すいす: 港区新橋3-5-13 B1彼女とは10歳以上年が離れているため、
アドバイスできることと、できないことがハッキリと分かれています。
例えば会社でのちょっとした業務に関する話や、
仕事上の愚痴を聞いて励ますことや、可愛い恋愛相談や、
何かを一緒になって考えることはできます。
でも私は、人生についてのアドバイスなんて、
できないし、しません。
20代前半の時に見えていた景色と、
35歳の自分が見ている景色は、まったく違います。
もし20代の私が、年上の友人に悩みを相談したとして、
「それって若いから気づいてないんだよ」とか、
「大人になったらわかるけど、そんなの無理だよ」とか、
貰った助言が結果的には正論だったとしても、
当時それは本当の意味では、私には届いていなかったと思います。
若い頃の私は無茶苦茶なことばかりしていたので、
こんな風にたしなめられることがよくあったけれど、
私は明らかに鼻で笑っていました。
おかげで大方の予想通り若気の至りとしか言いようのない失敗をして、
何度かは随分嫌な思いもしたけれど、
でもそれでよかったんだと思います。
あの時アドバイスをちゃんと聞いておけばよかった、
と後悔したことはただの一度もありません。
昔読んだベルンハルトシュリンクにこんな一節がありました。
今回の、年の離れた友人同士のやり取りとはいろいろ異なる点がありますが、
それはこんな父親と息子の会話です。
「他人がよいと思うことを自分自身がよいと思うことより上位に置くべき理由はまったく認めないね」
「もし他人の忠告のおかげで将来幸福になるとしても?」
「わたしたちは幸福について話しているんじゃなくて、自由と尊厳の話をしているんだよ。
幼いときでさえ、君はその違いを知っていたんだ。
ママがいつも正しいからといって、それが君の慰めになったわけじゃないんだよ」
私は彼女に、
私の場合はこうだったよ、とか、友達にこんな状況のひとがいるよ、とか、
私だったらこうするよぐらいは言えても、
「こうした方がいいよ」という言葉は、言いたくありません。
痛みも、苦しみも、自分で経験しなくては自分のものにならないし、
例え誰かの助言のおかげでそれを回避できたとしても、
それを回避できなかった人生の方が尊いような気が、最近はするのです。
それを回避できず、自分のちからで乗り越える人生を、
私は自分より若い友人に送って欲しいなと思うのです。なんだかえらそうだけど。
だいぶ話がずれてしまったので軌道修正をします。
ランチを食べながらした話は、痛みや苦しみとは関係がありません。
ただ彼女の明るい未来の話でした。
私は私の人生を大切に生き、
彼女は彼女の人生を大切に生き、
これからもずっと良い友人でいれたらいいなあと思いました。