冷蔵庫に常備菜がたくさんあるんだけど、朝は結局フルーツに落ち着く私でした。せっかく作ったのに。
いやー、朝食べるミカンって格別。
常備菜はお弁当にしよう!と思ってふと考えたら、
家のタッパーというタッパーを常備菜のために使っているせいで、
お弁当箱がありません。無念です。
数日前にパリで同時多発テロがありました。
フランス出身の知人が何人かいるし、フランスに嫁いだ友達もいるし、
ちょうどパリを旅行中だった友達もいたのでヒヤリとしましたが、
皆どうやら無事な様子で、ひとまずよかったです。
死傷者があんなに出ている中で、
自分の関係者が生きているからって「よかった」と言うのも不謹慎ですが。
でも、何はともあれ。
FBでは、パリのために祈ろうと銘打って、
プロフィール写真をトリコロールにする機能が出来たようです。
私はやっていませんが、それがあちこちで物議を醸していることに、驚いています。
まず、友達のプロフ画像が次々トリコロールになりました。
東日本大震災の時にもこういうアプリがあったり、
ついこないだも同性間の結婚が認められた時に、
プロフ画像をレインボーにするのがちょっと流行ったところでした。
今回私の周りでは、昨日今日で、日本含めアジアの友達も、欧米の友達も、
だんだんトリコロールのプロフ画像を使う人が増えています。
次に、それを批判するポストや記事が目につくようになりました。
いわく、FBのプロフ画像をトリコロールにすることは、パリを救わない、
そんなことをしてもパリ市民は喜ばない、祈るならただ心の中で祈ればいい、
あるいは、使われている写真が笑顔なのでふさわしくないとか、ノリが軽薄であるとか、
さらに、そもそも今回のことはフランスにも落ち度があるのに、
あなたは空爆を支持するのか?とか。
前述の通り、私自身はプロフ画像をトリコロールにしていませんが、
この散々な言われようには違和感を覚えました。
どんな風に祈るかなんて個人の自由だから、
私はこう思う、でも、あなたは違うんだね。
ってもののはずなのに、「FBの写真をトリコロールに変えるなどという祈り方はおかしい」
ってわざわざ言う必要があるのかな。
私がこのブログでこうして意見を言っているのと同じように、
まあ別に、ひとつの意見として言っているに過ぎないのだろうけど、
随分攻撃的な物言いに感じてしまいました。
例えばフランスに大事な友達がいて、
無事を願っているよと、言葉だけじゃない方法で伝えたかったとか、
あえて笑顔の写真でフランスを元気づけたかったとか、
その人その人なりの考えがきっとあるのでしょう。
プロフ画像を変えたくない人は変えなければいい、
変えたい人は変えればいいと私は思います。
そんなことには意味がないと思う人は思えばいい、
意味があると思う人は、そう思ってなんら差支えないはずです。
ちなみに、東日本大震災があって、遠く離れたカナダやメキシコの友達の何人かが、
Pray for JAPAN のプロフ画像にしてくれた時、
私はそのことがじんわり嬉しかったし、そのことに元気づけられもしました。
どんなに酷い状況だとしても、世界のどこかで、誰かが祈ってくれているという優しさ。
まあ当時関東に住んでいて、
家が倒壊したわけでも、大切な人を津波に飲み込まれたわけでもない、
生ぬるい被災者だったおかげで、
心に余裕があっただけかもしれませんが。
「トリコロールになんてしたってパリ市民は喜ばない」と言った誰かは、
どうしてそんな風にパリを代表してものが言えるんでしょうか。
なんだかもやーっとしてしまいます。
でも一方、「なぜあなたはプロフ画像をトリコロールにしないの?変えなよ」
と執拗に勧める人、なんてのもいるみたいです。
それはそれで違うと思いますが。
まあこんなことひとつ取っても、いろんな言い分があるものです。
こういう些細なことがもし積み重なっていって、
普通に意見を交換すればいいのに、お互いがお互いを妙に攻撃するようになったりして、
いつしか争いに発展していくのでしょうか。
そしてその争いがこじれれば、戦争やテロを生むのかもしれません。
そんな恐ろしいことを、ちょっと考えてしまいました。