カリフォルニア郊外にある遊園地に出かけたある日の夕方、「終電を逃したら本気で洒落にならない!」と急いで駅まで戻りましたが、
どうにか間に合ったどころか30分ほど電車を待つハメになりました。
のどかなのどかなのどかな、田舎の駅です。
線路でスタンドバイミーごっこ。
この時間を活用して駅の周辺を探索することにしました。


まだ外は明るいけれどこれでも7時です。この時間には閉まってしまう店が多いようでした。
私はこの時になぜか、古代の文明のことを考えていました。誰でも知っている通り、古代文明というのは大きな河のほとりで栄えています。
誰でも知っている通り、それは私達の生活に水が必要不可欠だからです。
水があるから人が生きられて、
人が生きられるから文明が栄えた、
そういうことです。
そして、生きるための水を確保するのに時間や労力を惜しまなくて良い分、
何か他のこと-発明だとか、芸術だとか、教育だとか-にわざわざ人生を費やすことができたのです。
水を汲みに行くだけで何時間もかかるような場所では、
人生の時間の大半がそれに費やされてしまうので、文明が発展する余地がないのです。
そういう場所では人は、昔ながらの生活というものを細々と営んでいくわけです。
どうして私が何もすることのない田舎町で電車を待ちわびながらそんなことを考えたかというと、
その時、私達にも余剰の時間があり過ぎて、
なんだか何かが生まれそうな気がしたからです。
私達は突然なにやら楽しくなってしまって、
逆立ちをしたり手すりにぶら下がったりジャンプをしたりしてしばらく過ごしました。
こういう時間にこそ、何かが生まれるのだと思います。






なんつって。何も生まれはしないし、古代文明なんかともさっぱり関係のない、
実に楽しくてくだらない時間を過ごしただけだけど。
あー、面白かった。
本当に何もすることがない街で育った、自分の昔を少し思い出しました。
何もすることがなさすぎて、しなくていいことをしてまうのです。
手が真っ黒だねと言って最後にもう1枚写真を撮ったのに、
写真に写った手は本物よりも綺麗だったので不思議です。
あんなに汚れていた手がどうして写らないのでしょうか。
そして時間より少しだけ送れて最終電車が到着し、遊び疲れた私達をごとごととダウンタウンへ連れて帰ってくれたのでした。
今日もたくさんの親切で陽気なアメリカンのみなさまに助けられました。
ほんっと、良い人ばっかり!