こないだバナナが安売りしてたので大きな房を買ったけど、
気をつけていてもすぐにコバエがたかるから、輪切りにして冷凍しておきました。

最近、夜になるとむしょうにヨーグルトが食べたくなる私は、
冷凍バナナと冷凍ブルーベリーをどっさり入れたヨーグルトを、
大きなボウルいっぱい食べました。

それだけでは朝までにお腹が減りそうなので、
抹茶味の今川焼きも食べました。

今川焼きは我が家の常備品のひとつです。
だーいすき。



さて今日Facebook を眺めていると、
私がカナダにいた頃お世話になったバイトの先輩が、
「バンクーバーのダウンタウンを歩いていたら知らない韓国人に殴られかけた」
というような内容のポストをしていました。詳細は省きます。

その男性は言ったそうです。
「I fucking hate Japanese 」


最近日本では何かと韓国が話題になっておりますが、
ソレとコレとは因果関係があるのでしょうか?


私は歴史家でもなく政治家でもありません。
韓国と日本の間に起こったこと、起こっていることに関してはいろいろ言われていますが、
実際にはこれまで何があって、
公平に見たらどの情報が正しくて、
誰の主張が認められるべきなのか、

ブログという場で不特定多数の人間に向かって声高に叫べるほどの、
入念な下調べや知識に基づいた意見は持ち合わせていません。


ただ、よく言われているような韓国の「反日教育」というのが本当にあるのだとしたら、
もう憎むことにエネルギーを使うのはやめたら?と心底思います。
これまで酷いこともあったんだろうし、許せないこともあったんだろうけど、
それが、現在の韓国人が現在の日本人を憎んで良い理由になるのでしょうか。


いや、あの頃こんな残酷なことがあった “らしい” から・・・、とか、
実は何千人殺戮したとか、軍隊はこんな風に卑怯だったとか、
そういうのはその気になれば自分でいくらでも調べられるしどうでもよくて、

外交というのは、どの国が善で、どの国が悪で、という話ではないはずです。
仮に、被害者と加害者、という二極に “国” を裁くことができたとしても、
私が思うのは、「だからなに?」ってことです。

開き直っているわけじゃありません。

だからなに?だからその国に生まれた人間を憎むの?なんのために?
って疑問に思うのです。

例えば日本でなくて世界のどこか別の国でもいいんだけど、
「戦時中にあなたの国はこんなことをした。それをきちんと理解し、反省して欲しい」
というのはわかります。

けれど、「反日教育」というのはそういうものではないようです。


憎むといったいどんな得があるんでしょう。
憎み抜けばスッキリするのでしょうか。

もしも子供たちが誰かを死ぬほど憎んでいたら、
「憎しみからは何も生まれない」と教えるのが大人の役目です。
だって本当に、憎むことに費やすエネルギーなんて無駄だと思うから。


私がここ数年の日本と韓国を巡るやり取りに対して、
ただただ思うのはそのことです。


過去を振りかざして、
必要とあらば誇張して、
子供たちが誰かを憎むように仕向けるのはやめろ、ということです。

日本を憎むよう長年教育されてきた子供たちが、
反日になってしまうのはどうしようもありません。


だから、歴史のこととか、政治のこととか、
それはそれとして、そのことは大人たちが公正に裁こう、
後の世代の感情までコントロールするのはやめよう、
と思います。


誰かを憎むというのはつまらないことです。
マイナスの感情があまりにも積もり積もってプラスに転じる、
という類の怒りや、悔しさや、ある種のネガティブさが時にはあるけれど、
「憎しみ」というのはそれに当てはまらないと思います。

それが、自分の底から自然とわきあがってきた憎しみならまだしも、
巧妙に教育された結果としての憎しみなんて、
精神的な足枷にしかなりえないと思います。



今日は業務が落ち着いていたので、
朝の電車で読んだFacebook のポストについて、
あれこれ一日中考えていたのでした。

 ちなみに仲の良い韓国人の友達が何人かいるし、
 韓国に行ってみたいとも思うし、
 実の姉は韓国ドラマ大好きだし笑、
 嫌韓では全然ありませぬ。