もしかしたらあの頃はみんな、
わざと反省しなかったのかもしれませんね。
そしてとりあえず 「他人よりちょっとだけ逸脱していたい」
-それだけを闇雲なパワーにしてね。
・・・・・・今から見ればバカみたいだけど。



ニューアカがやったことっていうのは、ひとことでいうと、
構造主義の展開及びポスト構造主義の導入で、
個体性より関係性を重視するものだった。

その直前まで「主体性をもて!」 とか 「アイデンティティを確立せよ!」
みたいなことが口うるさくいわれてて、
でもそれが大したものを産み出すわけでもないまま根性主義と結びついて
重苦しくなりがちだったところにもってきて、
「<私>には大した根拠なんかない!」 とか 「欲望を肯定せよ!」
とかいっちゃうわけだから、これは軽やかだったよね。

この昂揚感たるや、スゴいよね。
「現実なんて何のイミもないわ!あたしの脳みその中だけが真実よ!」
だもんな。アンタ最高だよ。

まあ昔も今も欲望がくっきりしてる人ってのは、カッコいいし、
颯爽として見えるよね。



その一方でというか、同時にというか、
「イヤなものはイヤ」っていう原則がはっきりあったと思う。

ちなみに「イヤなものはイヤ」ってことをいうためには、
自分で判断しなきゃいけないよね。
さっき「いいかげん」 を肯定しようとしたとか、
「<私>なんかない!」 みたいなことをいったけど、
それは自分で判断しないこととは違うし、
またその都度の判断を肯定するということ、
自分の判断の結果を引き受けるということでもあるわけだよ。

だから、いうことはテキトーでも、
好きになったものを後から風向きが変わったからといって、
実は好きじゃなかったとか、
あるいはその逆のこととかは彼女は絶対いわない。

そこがロバート・アシュリー聞かされてその気になってたけど、
実は全然退屈だったなんてことを後からいう安彦麻理絵との違いだね。