会社の近所に和菓子屋さんがあって、
そこの栗最中が絶品である、とのこと。

同僚の机の上に和菓子屋さんの紙袋が置いてあったため、
ナニソレナニソレ?と興味津々で首を突っ込み、
「よかったら、ひとつ、食べる?」
と、くだんの栗最中を1つ頂戴してしまいました。
彼女の大切なおやつだったようですが、かたじけない。

その名は文銭最中。
これまでに食べた中で一番感動した栗最中であることは間違いなく、
ほおばるとふわーんととろけてなくなってしまう、憎い美味しさでした。ところでこちらはご存知マンモス西(in あしたのジョー)ですが、
今日はこの日記のタイトルの通り、
マンモスじゃない西さんについての話を書こうかと思っています。じゃーん。


つい数週間前、西加奈子という小説家を知りました。
(今さら、ですか。ああそうですか。)

彼女の存在を知って間もないのでまだ3作しか読んでいませんが、
読んでいて、この人絶対同世代だ!って感じるキーワードが随所に散りばめられており、
彼女の言葉の感覚は、自分や自分の身近にいる友達と重なるようでした。

もちろん彼女はプロの作家ですからそのレベルはだいぶ違いますが、
同じモノたちを通り抜けてきた人の書く文章だ、と思ったのです。

起こってはすたれる数々の、大小様々な流行があって、
流行に乗るか乗らないかは無関係に、
我々はその時代の空気を共有します。

同じ流れの中に、同じぐらいの年齢の少女として、かつていたことがある、
そういうことを理屈じゃなく、ただ感じました。
言葉の選び方や、言葉の避け方や、結末に。

きいろいゾウ

少女は、病室できいろいゾウと出会った。青年は、飛ばない鳥を背中に刻んだ。月日は流れ二人は夫婦となり田舎の村にやってきた。売れない小説家のムコは、周囲の生き物(犬、蜘蛛、花、木など)の声が聞こえる、過剰なエネルギーに溢れた明るいツマを優しく見守っていた。夏から始まった二人の話はゆっくり冬まで進んでいく。


この 『きいろいゾウ』 が私の、ファースト西加奈子です。

最初は、う・・・不思議ちゃん系?と先行き不安に思いましたが、
その要素はあるもののそれだけじゃありません。
登場人物や会話や出てくる食べ物や風景の描写が、きちんとした体温を持っていて、
簡単に言えば、玄米が美味しい、というのと同じような意味で味わい深い小説でした。

そっくり、でもないけど私の友達カップルを彷彿とさせるシーンがあって、
ところどころで切なくなったりおかしかったりしました。


あおい

26才スナック勤務の「あたし」と、お腹に「俺の国」地図を彫っている4才年下のダメ学生風間くんと、ペットの亀の脱力気味の同棲生活から一転、あたしはリセットボタンを押すように、気がつけばひとり深夜長野の森にいた。そこで見つけた、ちっぽけな奇蹟。あンたのことが好きすぎるのよ。


『あおい』 こそは私が西加奈子に、
この人も私と同じく、岡崎京子や魚喃キリコを読んで大人になったんじゃなかろか、
と親近感を抱くきっかけとなった作品です。デビュー作。

実際は全然違うのかもしれないけど。

おこがましくも私が彼女と似ているとか、
彼女が岡崎京子や魚喃キリコと似ているとか、
そういうんじゃなくて。

「あれ、もしかしてあなたも・・・?」っていう感じ。
わかる?わかんないよね。
(あ、これは 『きいろいゾウ』 に出てくる大地君の名文句。)


きりこについて

きりこは「ぶす」な女の子。人の言葉がわかる、とても賢い黒猫をひろった。
美しいってどういうこと? 生きるってつらいこと? 
きりこがみつけた世の中でいちばん大切なこと。


これが今日読み終わりほやほやの一作ですが、
うーん、西加奈子は今後どういう方向に進んでいくのだろう、
と、大きなお世話でしかないようなことを思わず考えさせられる作品でした。

相変わらず魅力的な言葉が次々に出てきて、
良い文章が積み重なって、良いカタマリになっている!ココ好き!
って思う部分がたくさんあるのだけど、

ストーリーとしてはどうもいまひとつ、
扱うテーマが、なんというかテーマっぽ過ぎるのです。
いろんな人がもう既に何百回も言ってきたことの西加奈子版、に過ぎないもの
になっていた気がしました。


ともあれ、きりこのラブレターは悶絶のチャーミングさです。必見。

こうた君はすきな人がいますか。わたしですか。
こんどふたりであってください。ラムセス2世もよろこんでいます。ラムセス2世はわたしの猫です。
にゃあ、と鳴きます。おぼえていますか。
だいすきなこうたさま
敬具