誰かが「死にたい」と思った夜に、私には何が言えるかな。

私達はもう子供じゃないから、きっと、ただの衝動なんかとは違って、
考えて考えて悩んで悩んでやっと振り絞ったそのひとことに、
私は何て返せるのかな。


たぶん私、や、みんなが言いそうなこと、

つまり、生きてればいいことがあるよとか、
死んだらおしまいだよとか、
朝のこない夜はないとか、やまない雨はないみたいな、
もうそれ、自然現象じゃん、私と関係ないし、みたいな、

そういうことは散々考え尽くされ、もはや何の慰めにもならなくなって、
彼、あるいは彼女が、「死にたい」と言ったとしたら、
優しさというのは、そっとしておくことなのでしょうか。


例えば、親や兄弟や、幼馴染や昔のバイト仲間や、
一緒にライブに行きまくった友達や、
たくさんお酒を飲んだ友達や、同僚や、先輩や、
とにかく私の身近な、私の周りの、私の大切な、
その誰かが死にたいぐらいに落ち込んでいる時に、
ふと気づいたんだけど、私には何もできない。


大事なものを失って、深く深く傷ついて、
もう疲れたと言ったその人に、
「がんばれ、がんばって生きて」
なんて言うのは、私の自己満足に過ぎないのかもしれない。

だって、生きたら、それから?その先は?

その後もずっと続く“他人”の人生に、私は責任を持てないのに、
「死なないで」なんて言って良かったんですか。
ただの条件反射みたいに。
何の根拠もなく。


どういうものを本当の愛情ってよぶんだか、
さっぱりわからなくなりました。
いや、そりゃ、生きていて欲しいけど。
生きていて欲しい。また泣いたり笑ったりご飯を食べたりしたい。

でも何にも知らないくせにって言われたら、確かに何も知らなくて、
アドバイスも出来なくて、話を聞いてあげることもできなくて、
私はいったいなんなんだ。


「あなたはしあわせになってください」
「あなたみたいなひとになりたかった」
と私に言ってくれた彼、あるいは彼女に、

「ありがとう」
「私はあなたが大好きです」
と言ってくれた彼、あるいは彼女に、

もっと気の利いた言葉をかけたかったのに、
全部空回りしてしまった。びっくりするぐらい空回りしてしまった。


ごめんね。変なこと言ってごめんね。
もう、うるさくしないから。ゆっくりしてね。

私は本当に何の役にも立たないんだってことを、
痛感しています。


さて、いつも思うけど、人間はひとりです。
私はよくそのことを考える。
所詮ひとりだということを、
愛する夫や、家族や、友達がいてくれる次元とはまた別に、
もうひとつの次元で、いつも考える。
私も、私だけじゃなくてみんなも、所詮ひとりで、
それは全然寂しいことじゃなくて、孤独ということでもなくて、
でも、だから強くなりたくて、私はもがいたり、背伸びをしたり、頑張ったりする。


本当に死にたくなった時に、
他人の言葉で思いとどまることなんてあるんだろうか。
わけがわからないぐらいのギリギリのところまで来てしまったら、
自分を救えるのは自分しかいないんじゃないだろうか。

そのもっとずっと前の段階でなら、
友達のふとした優しさや、励ましで目を覚ますことだってあるかもしれないけど、
本当に淵の方まで辿り着いてしまった人間を、
他人が救うことは可能なんだろうか。


救いたいと思う自分と、だけど救えないことがわかっている自分と、
ピアノを弾く左手と右手のように、
それぞれの意思を持って、矛盾する気持ちが、矛盾なく私の中にあります。


あなたを救いたい。
でも、本当は、あなたを救えるのは、あなた自身しかいないってことを、
私は知っている。


頑張れって言っているわけじゃない。
むしろ、よく頑張ったねって言いたかった。
今はゆっくり休んで。たくさん水を飲んで、深く眠って。
ごめんね。