いま新宿西口で、
『平和祈念展示資料館―戦争体験の労苦を語り継ぐ広場―』
なるものが開催されています。
出陣前の特攻隊の写真やら空襲やらシベリアやら満州やら、
そういう、この時期によくある第二次世界大戦に纏わるアレコレの展示です。
必見。
いかにも新宿てな感じに洒落のめした若い男女や、
モデルみたいに綺麗なお姉さんや、
ちょっと裕福そうな老夫婦や、夏休みの小学生や、
大きなバックパックを背負った外国人旅行者や、
いろんなみんなが、最初はフラーっとした顔つきでその場を訪れ、
だんだん真剣な表情になり、しまいには熱心に戦争体験者の声に耳を傾けている様は、
道に横たわる親の傍らに無表情で立ち尽くしている小さな子供の黒白写真以上に、
私に何かを考えさせるのでした。
その瞬間そこにいる誰もが、『戦争反対』って強く強く感じているであろうということ。
なのに戦争はなくならない。
そして私は、いつも同じ気持になる。
ただ『戦争反対』と思うだけじゃ、意味がないんじゃないか。
『戦争反対』と思うだけで行動に移さないなら、意味がないんじゃないか。
戦争なんてものは、普通の人間は誰だって嫌に決まってる。
人を殺したり殺されたりして、しかもそれが自分の為じゃなくて国家の為だなんて、
そんなの嫌に決まってる。
嫌なことを嫌だから嫌と言うのは、
赤ん坊がお腹が空いただとかおしめを換えてくれだとか泣き叫ぶのと同じことだ。
単なる感情の垂れ流しだ。
罪もない若者が「神風」とかなんとか言って死にゆくことに、
嫌悪感を覚えない人間は滅多にいない。
そんなこと承知の上で、政治家達は戦争の道を選ぶんだ。
だから、若者が死ぬのが可哀想だから戦争はやめましょうという意見は何の力も持ってない。
国民が死ぬことを前提で戦争を始めてる国家に向かって「死にたくない殺したくない」と言うことで、
じゃあ戦争はやめましょうか、って軌道修正がなされるわけがない。
戦争に本気で反対するのなら、
なぜ戦争をするのか、戦争をしない方法はないのか考えて、
よっぽど良い代替案を出さなくちゃいけない、と私は思っていた。
戦争をしない代わりにこうしてみればどうか、という提案が出来なければ、
反対することそのものには意味がないと思っていた。
デモ行進や署名で終結した戦争なんてあるんだろうか?
*
召集令状、いわゆる赤紙です。
受け取り拒否は許されません。
本物を初めて見て、鳥肌が立ちました。
私には5つ歳の離れた大好きな弟がいるので、与謝野晶子のあの詩を思い出してしまう。
まだまだ考えなくちゃいけないことがたくさんありそうです。
自分の中で整理しなくちゃいけないことがたくさんありそうです。
『戦争反対』に懐疑的な私でしたが、
昨日、新宿で、戦争というものを目の当たりにした人々の表情を見ていたら、泣けてきました。
戦争に反対したってしょーがない。
しょーがないから反対しない。だけど賛成でもない。
と思って自己完結させてしまっていた頃よりは、一歩前進したのだと思います。
・・・思いたいです。
『平和祈念展示資料館―戦争体験の労苦を語り継ぐ広場―』
なるものが開催されています。
出陣前の特攻隊の写真やら空襲やらシベリアやら満州やら、
そういう、この時期によくある第二次世界大戦に纏わるアレコレの展示です。
必見。
いかにも新宿てな感じに洒落のめした若い男女や、
モデルみたいに綺麗なお姉さんや、
ちょっと裕福そうな老夫婦や、夏休みの小学生や、
大きなバックパックを背負った外国人旅行者や、
いろんなみんなが、最初はフラーっとした顔つきでその場を訪れ、
だんだん真剣な表情になり、しまいには熱心に戦争体験者の声に耳を傾けている様は、
道に横たわる親の傍らに無表情で立ち尽くしている小さな子供の黒白写真以上に、
私に何かを考えさせるのでした。
その瞬間そこにいる誰もが、『戦争反対』って強く強く感じているであろうということ。
なのに戦争はなくならない。
そして私は、いつも同じ気持になる。
ただ『戦争反対』と思うだけじゃ、意味がないんじゃないか。
『戦争反対』と思うだけで行動に移さないなら、意味がないんじゃないか。
戦争なんてものは、普通の人間は誰だって嫌に決まってる。
人を殺したり殺されたりして、しかもそれが自分の為じゃなくて国家の為だなんて、
そんなの嫌に決まってる。
嫌なことを嫌だから嫌と言うのは、
赤ん坊がお腹が空いただとかおしめを換えてくれだとか泣き叫ぶのと同じことだ。
単なる感情の垂れ流しだ。
罪もない若者が「神風」とかなんとか言って死にゆくことに、
嫌悪感を覚えない人間は滅多にいない。
そんなこと承知の上で、政治家達は戦争の道を選ぶんだ。
だから、若者が死ぬのが可哀想だから戦争はやめましょうという意見は何の力も持ってない。
国民が死ぬことを前提で戦争を始めてる国家に向かって「死にたくない殺したくない」と言うことで、
じゃあ戦争はやめましょうか、って軌道修正がなされるわけがない。
戦争に本気で反対するのなら、
なぜ戦争をするのか、戦争をしない方法はないのか考えて、
よっぽど良い代替案を出さなくちゃいけない、と私は思っていた。
戦争をしない代わりにこうしてみればどうか、という提案が出来なければ、
反対することそのものには意味がないと思っていた。
デモ行進や署名で終結した戦争なんてあるんだろうか?
*
召集令状、いわゆる赤紙です。
受け取り拒否は許されません。
本物を初めて見て、鳥肌が立ちました。
私には5つ歳の離れた大好きな弟がいるので、与謝野晶子のあの詩を思い出してしまう。
「君死にたもうことなかれ」
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
まだまだ考えなくちゃいけないことがたくさんありそうです。
自分の中で整理しなくちゃいけないことがたくさんありそうです。
『戦争反対』に懐疑的な私でしたが、
昨日、新宿で、戦争というものを目の当たりにした人々の表情を見ていたら、泣けてきました。
戦争に反対したってしょーがない。
しょーがないから反対しない。だけど賛成でもない。
と思って自己完結させてしまっていた頃よりは、一歩前進したのだと思います。
・・・思いたいです。