今年の12月まで、あれこれ予定が決まっています。というか、来年3月も決まっている…。
この後、6月初めに某区立中学校の運動会のソーラン披露があるはずで、そのための講習会が5月連休明けに始まるはず(参加希望者がいればですけど😅)。
6月は、キューバ-ジャパン フェスティバルに、マエストロ・ナルシソの作品のショーダンスを踊る他、うちの作品も出すって言っていたのに、なんだかメンバー腰痛で、やろうと思っていた作品が無理そうで。その後、同じ週の金曜日に新宿芸術家協会公演があって、こちらでは5名出演の作品「イマジン」を出す予定。いつものことながら、私も踊ります。
うーん、うちのメンバーの出演が無理なら、1人で踊っちゃおうかな、と、思ったり。
キューバ-ジャパン、 ナルシソ作品は得意とは言えないショーダンス。腰を動かす、上半身はグネグネに動かすっていうのが、7歳から習った私の師のレッスンではなかったことで、長らく、不要なものと思っていました。が、最近になって、某グループ、アイドルの彼が、全身を自在に動けるのを見て、アイドルがここまでやるのに、仮にも「舞踊家」であると言っている私ができないっていうのは間違ってたかも、と、思って、身体中を動かすことに挑戦する気になりました。上半身と腰のグニャグニャ、マエストロ・ナルシソはできるんですよね。え、なんでこんなグニャグニャ?日本人の思う女性の色気は違うでしょって思っても、その舞台を客席から見た時、マエストロ・ナルシソの作るものが間違ってないと気付かされてしまい…。
自分が成長するためには、なんとかしがみついていくしかない、と、思う次第。自分の作品を創り踊りながら、どなたかの作品も踊り続ける形が最も良いと、以前に思ったこともあって。
20代の頃は、振付なんか全くしたくなくて、ひたすらダンサーとして成長したかった。それが、息子がお腹にいた時に、バイト先で聞いた音楽が心に沁みて、涙が溢れて、世界が私を受け入れてくれて、その一部になった気がして。子どもが生まれてからは作品を創る気になり、出産後1ヶ月半、とにかく舞台で踊りたくて、現代舞踊協会の選抜新人公演のオーディションを受け、なんと合格、出演となりました。
私の中のイメージは、師である山形真紀子氏が、自分の教室(研究所)の生徒を率いてリサイタルを開く、それが自分の舞踊をやる上での目標でした。だから1995年から、自分が自分が主宰することになったバレエ・ド・ペガの発表会では30分くらいの作品を創って、生徒と踊る、そこで、良い作品、プロの作品として通用する作品を創ることを目標としていました。そう思い立ってから、30年も経ってしまいました。
20分〜30分の作品を2年に1回開催するバレエ・ド・ペガの発表会で発表することが、私にとっては一大事で。でも、誰もそんな風には思っていなかったかも?
昨年は大きなまとめの時期で。何かが見えたような気もしています。
ここから先、また、自分を変えつつ、次の章へ??
昨年、今年、頼りしていたスタッフの方々とのお別れが多く、自分が振付作品を創る上で、その一部を担ってくださっていた方々を失いました。
今、変わることがないと思っていたものが失われること、それが実は私の中で胸の痛みを覚えることです。
大好きだったものが突然姿を消す、それは人生の中で多々あることで。歳を重ねるほどに、それは度々のことになります。そんな哀しみを知っているから、年齢がもたらす深みというのがあるのかもしれません。
哀しみに耐えること。そんな経験をしながら、何もなかったように立っていること、それが人生の重みなのかも?
先月、失うと思いもしなかったものが失われることがあって。それは、かなりの衝撃でした。失いたくないものへの想い、願い、失われたものへの想い、それを踊りたいかなと思っています。抱いた感情をそのまま踊りにするのでなくても、その一部を踊りの中に入れることで、私の心は救われます。創るきっかけは、その感情にあっても、作品にしようと思い進める内に、形は変わって行きます。異なるものを付け加え、最後には全く違うものになってしまうことも。
大した振付家ではないですが、振付して作品を創るのが好きです。
これまでに踊ってきたものを組み合わせて、ソロで踊ってしまおうかな、とか、無謀な企てを考えたりもしています。
書きたくて書いたページで、誰かが読んでくださらなくてもいいと思っているので、タグもつけずにアップします。