こんにちは。トライアスロン小僧です。

元ネタはうなげろりんを聞いてください。

 

12月になりましたが、まだ寒さは本気を出しておらず大変過ごしやすいですね。最近の部活の反省とこれからについて記録がてら書きます。

 

スイム

相変わらず、水泳部に拙泳を見せつけながら練習しております。とりあえず練習機会を確保しようと平日は毎日行っていたのですが、火曜、金曜の練習がついに私一人になってしまい朝スイムを月、水、木の三日とすることを決めました。練習内容としてはup→drill→easy swimで固定でやっています。というのも、メニューまで気が回せなくなってしまったのと11月はランメインでやろうとしていたのでスイムはクロストレーニング程度に考えていました。結局、毎日の単調な練習に部員が耐えられなくなってしまったのかもモチベーションが低下してしまいました。これからは、週三日になった分、しっかりメニューを考えて強度の高い練習を入れていきます。

 

バイク

ランメインと決めてから水曜日の20分のSSTのみです。少なすぎました。ロングライドは週一で入れるべきだったと反省しております。今月からロングライドを増やしていきます。

 

ラン

川崎国際駅伝のためにランメインとは言ったものの、今までやっていた練習をジョグにしてポイント練習を週二にしただけです。多少効果があったのか練習に来ている人については成長を感じています。また、この期間はランのポイント練習のバリエーションの洗い出しを行い後輩に伝えるという目的もありました。実際、参加していたのは一年生のころからのイツメン(吉川さん、南方さん)の時が多く伝えられたのかは微妙でしたが、今私がすべてのメニューを作成するのではなく、彼らが幹部になった時に適当な練習をしないように育成するという意識は持っていきたいです。

 

コラム① 部長として何ができるか

シーズン中は部員が大会に向けて勝手に努力するので練習メニューを与えれば頑張ってやってくれていたのですが、オフシーズンから圧倒的に部員のモチベーションの低下を感じています(継続して頑張っている南方さんや吉川さん、急にやる気を出し始めた竹永さんなどの例外を除く)。これは当たり前っちゃ当たり前のことなんですが、オフシーズン(水泳部はまだ大会ある)になっても参加人数が多い水泳部や他大のトライアスロン部を見ていると部長としての責任を感じざるを得ません。私は大学生を軽蔑していて、高いところにあるものが下に落ちるように、水の中に落としたインクが拡散していくように、大学生というものはポテンシャルエネルギーの低い楽な方へ楽な方へと向かっていき彼らに何かを頑張らせるということは全くの無駄だと考えていました。しかし、オフシーズンこそこの考え方を改め火が絶えていない私が部員にエネルギーを与えていかなくてはなりません。遅刻する人もやる気がない人も無理やりにでも引きずり出して努力させ、また、その努力が無駄じゃなかったと思わせてあげられる、そんな部長になれたらいいです。

 

コラム② 最近刺さった歌

11月の練習、実験レポート、課題の毎日が単調すぎて私は人間ではなくロボットなのではないかという疑念に駆られました。与えられた仕事を完璧にこなそうとする、こなせたときはよいフィードバックを、こなせなかったときは悪いフィードバックを返す。自分が何をしたいのか、何のために生まれてきたのかもわからなくなってしまいました。そんなときにヨルシカの「詩書きとコーヒー」に出会いました。ヨルシカの曲はストーリーがあって考察代が広いところが特徴ですが、ストーリーからは離れて自分なりにこの曲を解釈してみました。この曲には聞くたびに「ん?」と立ち止まって意味を深く考えさせられる歌詞が多いです。その中でも特に刺さったものを紹介します。

 

「幸せの価値は60000円 

 家賃が引かれて4000円」

 

口座にたくさんお金があれば気持ちが楽になるし、お金がなかったら不安になって今の生活が嫌になるし。生活費が今の所持金から消えれば自分はこれしか持っていないんだとひもじくなる。幸せはお金で換金できるものではないときれいごとを並べても、結局幸せとお金を結びつけてしまうし、どれだけ単調で辛い日々を過ごしても自分にはこれしか残っていないんだという哀愁を感じました。

 

「寿命を売るなら残り二年 

 それだけ残してあの街へ 

 余った寿命で思い出を漁る」

 

あの街、思い出という言葉で何を連想するでしょうか。私は故郷山形を連想しました。私の地元には細々にしても働く場所がなく今、大学や部活をすべて投げ出して地元で暮らすというのは親がいるうちはいいかもしれませんが、ほとんど不可能に近いです。今の錆びた生活とあの頃のすべてが輝いて見えた生活を比べてやっぱりあの頃に戻りたいって思います。人生が早く終わってもいいからあの場所で暮らしたいって思います。寿命を売って残りの寿命を故郷で不自由なく暮らせる財力があればという叶わない願望の歌詞が刺さりました。

 

「わかんないよ 

 わかんないよ 

 わかんないよ 

 上手な歩き方も 

 さよならの言い方も

 

 わかんないよ 

 わかんないよ 

 わかんないよ

 忘れられる方法も 

 これからの使い方も

 

 わかんないよ 

 わかんないよ 

 わかんないね 

 人は歩けるんだとか 

 それが当たり前だとか」

 

感情マシマシのsuisさんによるわかんないよの反復です。聞いただけで体の奥、喉の真下(心があるとされる場所)が締め付けられます。歩き方はともかく、さよなら、お疲れさまでしたの言い方って本当に分からなくなります。親しい人には何も考えずにお疲れ~、バイバイなんて言ってますが、中途半端な間柄(週一で会うくらい)だとどうすれば相手に不快に思われずに別れを告げられるか考えてしまいます。また、自分の存在を忘れてほしい人もいるでしょう。入学式で中途半端に仲良くなってその後ほとんど会っていない人、同じクラスなのに告白して振られた相手、小学生の時にひどいことを言って別れてしまった親友。いっそ新しく関係を築ければいいのにと思います。最後の節は自分は精一杯頑張っているのにそれは世間一般に見たら当たり前のことで全然すごくないという事実に対しての気持ちだと思います。

 

n-bunaさんの魚の骨のようにつっかえて体内に入っていくような歌詞とsuisさんの、心をつかんでブランコのように揺らしてくる歌声というヨルシカの魅力が詰まったような曲でもあると思います。各種サブスクで聞けるので是非聞いてみてください。

 

コラムが長くなってしまいましたが、この辺で寝ようと思います。おやすみなさい。