横国生パラグアイ・ボリビア渡航記 ¡Viva Paraguay y Bolivia!

横国生パラグアイ・ボリビア渡航記 ¡Viva Paraguay y Bolivia!

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横浜国立大学・大学院藤掛洋子研究室2017年度~ショートビジットプログラム:パラグアイ・ブラジル渡航チームの活動記録です。

前回の続きです。



―――10月1日―――

泥のように眠るだろうと思って夕べは日が変わる前には寝たが、5時台に目が覚めてから、意外にも眠れなかった。溜まったアニメを観ながら、溜まった洗濯物を一気に洗っていく。ホームステイ先にもらったアオポイや、ボリビアで買ったティーシャツは、崩れないように大事に扱う。

  

普段朝食を食べない僕だが、不思議なことに無性におなかがすいたので、散歩がてらスーパーへ行った。BGMは佐野元春だ。彼の曲は今回の旅をいつも彩ってくれた。因みにオススメは「La Vita e Bella」だ。彼の歌詞はまさに詩人的なものだが、今回の旅で色々な人と出会い、色々な素敵な光景を見ていく中で、だいぶ歌詞の意味が分かってきた気がする。

 

  朝っぱらからうどんを2玉食べた。時差ぼけの影響で、食欲も麻痺したのかもしれない。うどんは、渡航中ずっと食べたかったものだ。パラグアイの日本食レストランに藤掛先生が連れて行ってくださったときも、皆が豪華な定食を食べる中で、一人だけざるうどんを食べたのも記憶に新しい。イグアスでもアサードの前に、耐えられずスーパーで見つけたカップうどんを食べたのもいい思い出だ。パラグアイに行った当初は、食欲が10分の3ほどに減ってしまったが、日本食にありついてからは、完全回復した。結局ボリビアのラパスでも、夕食は毎回日本食レストラン、「けんちゃん」だった。最後3回目にチームで押し寄せたときの、店員の「また来たよ」という笑顔(苦笑い?)は忘れられない。「けんちゃん」、また行きたい。

 うどんも平らげ、午後のオリエンテーションに向けてゆっくり準備をしていく。

 しかし起きてからというもの、ずっと頭が不思議な感覚に包まれた。

  気がつけば、無意識に渡航のことを思い出していた。

 



つい数日前までは、日本の反対側にある南米にいたと言うこと。

 







ウユニ塩湖で、命の根っこを揺さぶってくるような世界に包まれたこと。

 







コルメナで観た朝日、夕日。家族とみた星空。




 




サントドミンゴで歩いた果てしなく続く赤土道。




 


オビエドのホームステイでアニキ(僕の左)がくれた麦わら帽子。

 





皆で見とれたきらびやかなラパスの街。




 



アメリカンドリームを体感したタイムズスクエア。




 



皆で楽しく騒いだ時間。




色々な思い出が交互に蘇ってくる。帰国した次の日に、いきなり大学に行くという「日常」が迫ってくるから、より一層この記憶が強く心を揺さぶるのかもしれない。


   この渡航で、メンバーともお互いを理解し、絆を深めた。しかしそれでも、国内に戻れば、まるでなにかの魔法が解けたかのように、またそれぞれが自分の道を進み、忙しくなり、渡航中ほどの距離感は無くなる気がする。研究室以外、大学に「仲間」という存在が特にいない僕にとっては、あの絆が「旅の魔法」によって魅せられた一時的なものであるとしたら、それはすごく寂しいことだ。しかしそれはそれで、出会いが生み出す別れの一種として、この渡航の美しい「思い出」として、胸にしまっておこう


  夢に見る内容も渡航前と後で変わった。渡航に関連した夢を未だに見る。観たのは、ボリビアでの運転手、アントニオから電話がかかってきて、「何言っているか分からないから、テキストで書いておくってくれ!」と僕が拙いスペイン語で返す、という実にくだらない夢だ。因みにアントニオは、シャイな人だったが、僕たちが写真撮影に連れ込んだり、ぼくがガムをあげたりする内に段々心を開いてくれて、最後には自分から「さっきの写真をくれ」といってくれるようになったのが印象的だった。数日お世話になってアントニオとさよならした後、お礼のメッセージを送ったら、「私の妻だ」と写真送ってきてくれたのも忘れがたい。いい人だった。



※真ん中がアントニオ


話が飛んだが、つまり今でもこの脳裏には海外での記憶がこびりついている。悪い言い方をすれば、「現実に戻れていない」という言い方にもなるだろうが、別に良いじゃないか。

僕からすれば、初めての海外で、何もかもが初めてであったし、一年の4月から、この渡航に思いを駆けて、1年半を捧げてきたんだ。それだけ大きな1ヶ月で、とてつもなくかけがえのないものを手にしたのだから。幸いにも、帰国後1週間、まだ夏休みが続く。もちろんいつまでも浸っているわけにも行かないが、せめてこの間だけは、思い出に浸っていたいと思う。といっても、既にやることだらけだが。


オリエンテーションが終わり、夕方からは、奥ちゃんが誕生日と言うことで、みなとみらいに近い野毛で、学科の男子で祝った。奥ちゃんおめでとう。

今日は僕も奥ちゃんも朝早くから起きてしまって、寝不足だったのか、お酒を飲んだら店で眠りかぶってしまった。これまた時差ぼけの影響だろう。時差ぼけを言い訳にしすぎか?でも、この疲れの理由は他には考えられない。


帰りはバスを使った。みなとみらいの建物が見えるバス停で、ビルを眺めながらバスを待つ。渡航前は、毎回このバス停からの景色に感動していた。しかし、昨日は「あれ、、、こんなものだったっけ」と感じてしまった。バカなことに、ニューヨークでみた高層ビルの景色と比べてしまったのである。みなとみらいを馬鹿にしたわけではない。久しぶりにみなとみらいに行って、やっぱり素敵だなあと思ったし、むしろ大好きである。しかし、「ニューヨークのビルは本当に首を90度曲げないと上が見えなかったなあ」と無意識に思い出してしまう。海外かぶれに近づいている気がして、自己嫌悪を感じた。


 ふらふらになりながらも、家に辿り着く。一人の夜にまた慣れるのも時間がかかりそうだ。つい先日までは共同生活を続けていた訳だから、どんなに過酷な環境でも寂しくなんか無かったし、良いものだった。一人になると、ついダラけてしまうところがある。渡航中は、藤掛先生という「お母さん」がいた。そしていつも側には、ちょっとでも道を踏み外しそうになったときに目を光らせて正してくるがい朝っぱらからうるさいもう一人の「姉」と「妹」、しっかり者の「兄」と、お調子者カメラマン、センジョーがいた。やはり、周囲の存在というものはでかく、しっかりしないといけないという意識を当たり前に持てた。とかいうと、姉妹から、「全然しっかりしてなかったよ」とか言われるだろうけど。。。


ふと気づいたのだが、うちの副リーダーは、鋭く指摘してくる箇所、感覚が私の母によく似ている。よく副リーダーに指摘されるとムッとなって言い返すが、向こうがほぼ毎回ド正論すぎて、大体かなわない。

ぼくが副リーダーにいつもムキになるのも、母に通ずるところがあって、いつも母に向かうときの癖が出てしまっていたのかもしれない。毎回毎回ダメ出しばかりで、まあ決して良い気分ばかりとは言えないが、まあでも、そういった存在の大切さにはこの渡航で強く気づいたところがある。思考が単純で直感的な僕がリーダーとしてなんとかやりきれたのは、副リーダーのおかげと言わざるをえない。悔しいけど。


 そんなことを思いながら僕は、一人でやっていけるかなあと考える内に、10時間以上、ドロのように眠った。

 

―――10/2―――

所用があって、朝から藤掛先生に時間を割いて頂き、少しお話をさせて頂いた。ブログ、どうしたものかなあと考えていたが、その話の中で、先生がこの入り混じる頭の中をそのまま書いてみることを勧めてくださったので、僕は今とりあえずこれを書いている。


   帰国から数日経っても、不思議な感覚はまだ消えていない。だが、こうした記憶、感覚は時が経つにつれ、嫌でも色あせていくのは、20年しか生きていなくても、十分に分かる。そう考えると、確かに先生のおっしゃるとおりで、僕のこの記録は非常に意味があるものかもしれない。ブログに載せる、という点では批判もありそうだけど。

この「YNUショートビジットプログラム」は、終盤の私事渡航も含めて、とても良い旅だったことは間違いない。今の僕は昔からの積み重ねで成り立っていることは確かだが、この渡航に参加する前と参加した後の今を比べると、一区切りつけられるほど、僕の世界は変わった。JALや横浜駅でのエピソードも、そのことを象徴していると思う。今まで当たり前の環境であった日本を、相対化して観ることが出来るようになったのだ。これは間違いなく僕にとっては大きな成長であり、経済的な視点だけでなく、色々な点から豊かさを、日本や今回訪れた国を比べて、探すことが出来る。そして、南米の人たちの温かな心に見せられたことによって、僕自身、少し人に優しくなれた気がする。

人生が変わったかどうかなんて、帰国してこれからどう生きるか次第だから何も言えないが、世界観だけは、このたった一ヶ月ちょっとでも、だいぶ変わったと思う。

 

何より、こうした機会を与えて下さり、渡航中も我々のために夜中まで仕事をしてくださった藤掛先生には、感謝しても仕切れない気持ちでいっぱいだ。これからの学び、行動にこの経験を生かしていくことで、せめてもの恩返しをさせて頂きたい。

 

先生のそういった努力により出会えた人々。その人々から受けた愛は、実際に受けてみないと分からないだろうが、決してリップサービスなんかではないし、本当に信じて良いものだと思う。過去にプログラムに参加してきた先輩たちや先生を観ていれば分かる。


家族たちにもまた会いたいし、1ヶ月では、分かりきれなかったことも、たくさんある。もっと知りたいとも思う。最後の挨拶の時、カルロスが「パラグアイのために、またいつか戻ってきて、協力して欲しい」ということを日本語で、号泣しながら僕らに語ってきたときは、僕も目が潤んだ。心に強く響いている。


半分嘘みたいな理由で選んだこの大学で、こんなに素晴らしい機会に巡り会えたのは、運命としか言い様がなく、この縁を大切にしたい。

そして僕は早くも、次またパラグアイに戻るにはどうすればいいかを既に考え始め、探している。


遠くの空に憧れて日本を出た僕。同じ一つの空の下であっても、やはり日本と観る空の景色とは違った。そしてその美しさに魅せられた僕の心は、日本に帰ってきて間もない今でも、また日本の外に足を運び、世界を知りたいと疼いている

 



僕は今もまだ、遠くの空に憧れたままだ






最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



これにて、完結です!!!ありがとうございました!!