謹んで御報告申し上げます。
本日は『紀元節』。
天気も『紀元節』を寿いでいるようだ。
皇紀二千六百八十三年(令和五年)である。
皇紀元年(紀元前六百六十年)元旦、『神武天皇東征』をなされ、『日本(ヤマト)平定』を成し遂げた『神倭伊波礼毘古命(神武天皇)』は、畝傍山の麓の『橿原神宮』で御即位遊ばされた。
御即位の際は『神武天皇建国の詔』を煥発あられせられた。
『聖人は制度を立てるものであり、その道理は必ず時勢に適合するものである。いやしくも民にとって利益になることであれば、聖の業に妨げは起きないであろう。そこで山林を切り拓いて宮殿を作り、謹んで皇位に即いて、民を哀れみ愛さなくてはならない。上は天つ神が國をお授け下さった徳に答え、下は瓊瓊杵尊が正義を養った御心を広めようと思う。その後に、四方の國々を統合して都を開き、天下を覆って家とすることは、はなはだ良いことではないか。見渡せば、畝傍山の東南の橿原の地は國の奥まった安住の地であろう。そこに都を定めよう。』(『日本書紀』、竹田恒泰著『日本の国史』より)
下線部が
『兼六合以開都 掩八紘而爲宇 不亦可乎』
であり、読み下し文は、以下のとおりである。
『六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇と爲さむこと、亦可からずや』
『神武天皇建国の精神』を大御心に、少なく見積もっても二千年以上もの間、一度も王朝が変わらなかった『皇國日本』。
世界に誇れる『皇國日本』に『日本臣民』として生まれてきて幸せである。






