自分にとっての教育学~ヒューマニティーズ教育学を読んで~ | 真実一路を悠々と

真実一路を悠々と

自分のペースで一歩一歩

正直なところ、大学1,2年生のとき(今でも?)は大学の講義を聞いてもまったくもってピンときませんでした。


学校教育課程なので、教育学についての講義が中心となるわけですが、何か違和感があるというか、何か腑に落ちない。



主に次の2つの点で教育学に対して疑問を持っていました。




①教育の前提となっているものが古いのではないか?


学校というものは、社会の中の一つの機能であることから、学校外の社会の変化に応じてその役割や責任は変化してくるものだと思います。


ですが、自分が感じていたのは、既存の教育学は一昔前の社会の前提をもとに積み上げられているのではないか?ということ。


例えば、良い学校→良い就職→良い人生というような価値観だったり、特に印象に残っているのは、「学力」についての議論。


大学の講義では「学力」というものを無条件に上げるべきものという前提のもと、議論を進めていたことが多かったように思うのですが、


自分としては、そもそも「学力」とは何か、どういった性質を持つものなのかということだったり、現代社会において本当に「学力」を伸ばすことは必要なことなのかということが気になってしまい、


講義については何を言っているのかよくわかりませんでした。



特に自分の場合は、1年生の時にインターンをしており、社会の変化を肌で感じていたため、社会実態とのギャップに違和感を感じることが多かったのかもしれません。





②そもそもの教育目的をどう考えているのか?


教育は何のためにあるのか?

どういう方向性を持って教育をするのか?


という疑問は高校生の頃から持っていました。


それへの関心から学校教育課程に入ったということもあるのですが、


大学の講義では、そういったそもそもの教育の目的は何なのか?という根本に触れるものはほとんどなかったように思います。


上記に挙げたように、「学力」については、何で学力を伸ばすことが必要なの?という問いを考えることなしに議論が進められていたり、


教科学習においても、国によって与えられた教科目標をいかに達成するかという視点だけで、話されていたり、


そもそもの教育目的について疑問を持っていた自分としては、何か腑に落ちないなあというのがほとんどでした。








そんな感じで、教育学に対して違和感のようなものを持っていた自分ですが、


最近読んだ本で「なるほど!」と思ったことがあったので紹介します。



教育学 (ヒューマニティーズ)/広田 照幸
¥1,365
Amazon.co.jp

この本は、教育社会学者の広田照幸さんという方が書いた本で、教育学について俯瞰的に書かれています。


教育学の守備範囲

教育学の系譜

教育学の可能性、限界

教育学の危うさ

などなどについて


教育学の手引きのような本です。




自分が日ごろ教育学について感じていたことを言語化してくれるお気に入りの本なのですが、

その中でも、第四章 「この世界に教育がなしうること~教育学の未来はどうなるのか?~」

の記述が印象的だったので引用します。










以下要約


************************


教育目的が迷走している。


近代教育学は、どこかに究極の原理を据え、そこから、あるべき人間やあるべき社会の方向を導き出し、それに向けた教育の目的や方法・内容を決めていく、といった形で自らの議論を正当化してきた。


たとえば、近代初期のコメニウスにとっての究極の原理は、「神」であったし、近代国民国家の興隆期には、「国民」の形成が教育システムの重要な社会的使命であった。



しかし、1980年代から1990年代にかけて広がったポストモダン論は、「教育の正当性や方向性を根拠づける、最終的な足場はない。」ということを明るみに出した。


あらゆる教育学的規範は、恣意的な言明だということになった。


かくして、教育学の現代的使命やあるべき方向(教育の目的)をそれなりに語ってきたはずの教育学が、ここにきて、確固たる議論の足場を失った状態に陥ったのである。




**********************








ここに書いたとおり、教育を考える上での確固たる足場がないというのが、現状だと思います。


子どもたちにテストでいい点数をとらせることが本当にいいことなのかはわからない。


どのような発達をすれば、どんな力を持っていれば、社会で生き抜いていけるのかもわからない。




教育学は、これまである程度長い歴史の中で積み上げられてきたものなのですが、


やはりこの教育学というものも絶対的なものではないし、

解明しつくせない存在である人間を対象にするものであることから、多くの部分で“危うさ”を持ったものだと思います。




で、結局何が言いたいのかというと、

自分にとって教育学は、あくまでも自分の教育“観”を磨くための材料であると捉えていきたいいうこと。


教育学で言われていることをそのまま鵜呑みにするのではなく、


こうすれば大丈夫!というような絶対的な正解がない中で、

自分が見る現実と自分自身ができることを擦り合わせながら、自分なりの答えを導いていくための材料として教育学を使っていきたいなあということです。







1,2年生のときは、教育学の本を読んでも面白いなあと思ったことはほとんどありませんでしたが、


最近、自分なりの見方ができるようになるために読むんだ!と捉えるようになってからは、

教育書を楽しんで読むことができるようになりました♪




恥ずかしながら、まだまだ入門書レベルのものを数冊読むにとどまっていますが、

一つ一つをじっくり自分のものにしていって、教育観を磨いていけたらと思います☆