こんにちは〜。

 

 

脱力ごはんアドバイザーの

三浦ナオコです。

 

 

 

 

どこかで大きな災害が

起こるたび、いつも

感じる違和感。

 

 

コロナ禍もそう。

 

 

苦しんでる人がいたら

自分も喜んだり浮かれたり

しちゃいけない、という

風潮。

 

 

寄付をしたり、実際に

ボランティアに行くのは

素晴らしい行動だと思う。

 

 

同時に、全員が深刻な顔で

ションボリしていないと

とんでもねえ!と糾弾する

コロナ警察みたいな人

必ず出てくる。

 

 

誰かが亡くなったり

怪我をしたり

不幸に見舞われている

と知ったら、あなたは

自分自身が楽しむことは

控える?

 

 

これって、身内に不幸があったら

お祝い事を避けるという

神道の考えに近いのかしら等と

無い知恵を巡らせてるけど

知ってる方がいたら教えて欲しい。

 

 

 

 

 

子どもの時、

働く時はみんな一緒、

誰かが働いているときに

サボるのは良くない

と教えられていた。

 

 

苦しいことは、

みんなが平等に苦しければ

耐えられる。

 

 

村の年貢がみな

同じく厳しいなら

耐えられるが、自分だけが

キツイのは耐えられない、

というのと同じ。

 

 

そのときは、そんなものか

と思い、かなり長いこと

その価値観で生きてきた。

 

 

みんな一緒に苦しもう精神

のおかげで、手の空いているとき

には大変な人を手伝うことに

抵抗がなかったのは、

ある意味ではよかった。

 

 

 

だけど、どうしても納得

いかないことも出てきた

のも確か。

 

 

誰かを助けたい

誰かを幸せにしたいと

思うならば、自分が不幸

では助けることも

幸せにすることもできない。

 

 

「戦地にいる兵隊さんに

申し訳ないと思わないのか」

みたいな論調との共通点を

感じるのはわたしだけでは

ないはず。

 

 

楽しい催しは全てやめて

ほかのお店の動向に合わせて

自分も店を閉めたり、

目を付けられないように

おしゃれもしない。

 

 

そんなのヘンじゃないか。

 

 

自粛自粛では、

経済だって冷え込んで行く。

 

 

 

 

右向け右と言われて

全員が右を向かないと

ぶっ飛ばされる、とか。

 

 

電車の中で子どもが

泣くと舌打ちされる、とか。

 

 

異質なものがいると

不愉快になるような感覚

わたしは持ちたくない。

 

 

安易に

みんな違ってみんないい的

に着地させたくないけど

悲壮感を出して安心するのは

まったくナンセンスだと思う

 

 

 

 

 

自分を幸せにすることと

周りを幸せにるすことと

等記号では直結しないかも

しれない。

 

 

でも、めぐりめぐって

いつか届く。

 

 

そうさせたいな。

 

ふんわりリボン ふんわりリボン ふんわりリボン ふんわりリボン ふんわりリボン ふんわりリボン ふんわりリボン ふんわりリボン

 

 

 

 

 

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