江戸時代の弁当にかんぴょうが | かんぴょうブログ

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栃木県でかんぴょうの卸売問屋をしています。

暇なので 弁当の歴史などを検索していたら

江戸時代1800年代の弁当に「かんぴょう」が使われておりました

 

干瓢は1712年(正徳2年) 滋賀県の水口より下野の国(栃木県)壬生町に入り

生産が始まったので

この弁当に使われている干瓢は 栃木県で生産したものかと思います

 

1800年代になると、料理書や料理屋の発展により料理内容も多様となり、弁当のおかずなどもバラエティに富んだものに変化します。また、仕事以外にも、花見や船遊び、神社仏閣への参詣など楽しみのために外出することが多くなり、弁当文化が大きく花開く時代となりました。

武蔵岡部藩藩主安部信発の御登城弁当

幕末の大名 武蔵岡部藩藩主 安部信発の1年間の食事記録のなかに弁当の記録もあります。江戸の上屋敷での慶応2年(1866年)の登城する際の弁当例です。内容は、椎茸、干瓢、味噌漬大根、握飯。
当時、日常と特別の日によって弁当の中身は異なるようで、下屋敷や増上寺に出かけるときは特別な日とされ、弁当の内容も多少豪華だったようです。

御登城弁当
守貞謾稿 幕の内弁当

江戸時代の芝居興行は朝6時から夕方5時頃まで続き、芝居見学は一日がかりの娯楽でした。そのため芝居の合間に何を食べるかも楽しみのひとつで、桟敷席に座る裕福な客は芝居茶屋に食事の手配を任せますが、一般の客は「幕の内弁当」と呼ばれる弁当を楽しみました。

錦絵 中村座内外の図 絵師歌川豊国 文化14年(1817年)刊行
味の素食の文化センター所蔵

下は、江戸時代の風俗、事物を記した『守貞謾稿』に記述がある「幕の内弁当」を再現したものです。
内容は、握飯10個、蒟蒻、焼豆腐、干瓢、里芋、蒲鉾、卵焼。

錦絵 中村座内外の図
幕の内弁当

 

以上 一般社団法人 米食文化研究所HPより拝借しました