中国でかんぴょうが生産され始めてから
10年近く掛り
良質のかんぴょうが輸入されるようになりました
私が最初に 中国へ渡ったのが1986年
中国山東省で始まったかんぴょう生産も
その頃には
遼寧省 大連近郊でも沢山生産され始めました
今から30年前の中国は
街中には自転車が溢れており 乗用車はソ連製の大型車を
お役人が乗る位で 自家用車はほとんど無く
夜でもバスはライトを点けずに走っており
現在の交通事情を見ると 中国の急激な発展には驚くばかりです
かんぴょう生産は 遼寧省大連より1~300km先の
瓦房店市(砲台・老虎屯・三台・等) 普蘭店市
蓋県(高屯)地区が主な生産地でした
当時の農村風景
高速道もなく がたがた道を3~4時間車に揺られ
選別工場に着くと大体お昼になり熱烈歓迎の「カンペイ」が始まります
2時位から酒酔いの赤い顔をして 検品作業が始まり
1~2時間もすると 帰りが遅くなるから戻りましょうと・・
選別工場に積まれた 中国干瓢
当時は国営公司だったので 余分には仕事をしません
また3~4時間掛けて大連に戻ります
ホテルも田舎都市には無く 外人は泊まれない「招待所」だけでした
次の日も同じ繰り返しで
一つの仕事もするのも日本の3~4倍も掛ります
1980年代 瓦房店市郊外のかんぴょう生産風景
かんぴょうの積み出し港は主に
山東省の青島港 遼寧省の大連港です
飛行機の直行便は週に1~2便で
大連へ行くには韓国上空は飛べなかったので
遠回りし上海より北上するので4時間(今は3時間)以上掛りました
航空便の都合で 仕事が終わっても帰れないので
空いた日には よく名所旧跡を案内していただきました
山東省 泰山市「泰山廟内」にて 1989年
この頃は まだ若かった事もあり
何所に行っても歓迎され
かんぴょうも輸入さえすれば必ず売れ
楽しい時代でした
続く