先週の話。
群馬は猛暑日になりました





父が地域の役員をしている関係で、近所に集金行脚
をしておりました。
しばらくして、血相を変えて帰宅してきたと思ったら、車の鍵
を掴んでまた出て行きました。
まあ、暑さに負けて集金行脚を歩きじゃなくて車にでもしたんだろうと思っていたら
小一時間くらいしたら、またまた何かに逃げるかのように帰宅してきました
すると…。
集金していたら、見ず知らずの老婦人が「〜へ行きたいのだけど道は合ってますか?」と声をかけてきたとのこと。
でも、その老婦人の目的地は声をかけられた場所から5キロも真逆の方向で
しかも、とても用事があって出かける支度をしていない…。
これはもしかしたら、認知症を患っていて外に出てしまったのかもしれない
そう思った父は、老婦人の名前と住所を確認したら、住所は言えなかったけど字地域と名字は答えたそうで
「この猛暑日に歩くのは酷だから、わたしがお送りしましょう」
と、血相を変えて車の鍵を取りに戻ってきたことが分かりました。
状況を見兼ねたコンビニのオーナーが(たまたまコンビニの斜向かいで老婦人が声をかけてきた)
父が車を回してくる間に、その老婦人に飲み物を与え
父は、老婦人が名乗った字地域まで車を走らせたところ…
血相を変えた老紳士が、落ち着かない様子で道路を行ったり来たりしていたそうです。
もしやと思って
「〜さんのご主人ですか?」
と尋ねた父に向かって、その方は両手を掴んで「ありがとうございます」と頭を下げ続けていたそうです
ちょっと目を離した隙に、妻が居なくなってしまった。
軽度の認知があって、今までに勝手に居なくなることはなかったのだけど、この猛暑で、もしどこかで熱中症で倒れてたりしたら…と生きた心地がしなかった。
と。
無事に老婦人は帰宅することが出来ました…


そこまでは良かったのです。
すると、先方が
どうか住所と名前を教えてください
と申し出たそうです。
そりゃそうだろう…捜索願を出そうと思っていたところだったのだから…。
すると父は
「名乗るほどの者じゃございません。奥さまとたまたま話をして、暑いから送ってきただけです」
と、父もまた名字だけ名乗って逃げるように帰ってきてしまったのです
確かに、困った人がいれば助けるのは人として当然。
当然のことをしただけだから、わざわざ名前を名乗るほどのことじゃない。
うむう…いかにも我が家の人間らしい見解

わたしも同じことをするような気がする…。
確かにそれは間違ってない。
でも、先方からしてみたら父は命の恩人。
このご時世、認知症でちょっと目を離した隙に家から出てしまいそのまま行方不明になってしまう事例がどれだけあるか?
それを思えば、家族を助けてもらったのだから名前と住所を教えて欲しいという先方は正しい。
そんなこんなを話しをしていたらなるほど
と父も納得したのですが……。
と父も納得したのですが……。先方も強者だった。
そこから、電話帳と住宅地図を引っ張り出して、同じ町の、我が家と同じ名字の人に片っ端電話をかけたそうで
そして見事に我が家にたどり着いた…すごい。
のこっちと向こうで父「そんな気を使われちゃ申し訳ない」
先「いや、どうしても直接お礼のご挨拶をしたい」
父「お気持ちだけで充分ですから」
先「その気持ちを顔を見て言いたいのです。時間は取らせません、明朝お伺いします」
わたしはそのやり取りを聞いていて、感謝を真っ直ぐ受け取ることの重要性を学んだ。
人として困った人がいれば助けるのは当然。
先方は捜索願を出そうかどうかのところ、無傷で見ず知らずの人に連れて帰ってきてもらった。
そのお礼を言いたい。
どちらも正しいのだから、お互いの感謝と敬意はただ真っ直ぐ真心のまま受け取って良い。
謙遜の美徳ではなく、命の恩人なのだから謙遜があるからこそ受け取って良い。
むしろ、顔と名前をお互いに認識すれば、ここから先、もしまたその老婦人が徘徊をしてしまった時に、助けてあげられるかもしれない。
この高齢化社会を慮れば、相互助け合い。
明日は我が身の可能性だってある。
顔を見てお礼もまともに言えない大人が増えたこのご時世
地元同士の人間がまたひとつ繋がれるのは幸せなことだと感じた実話でした。