昨晩のこと。
自宅でレッスンをしている時は
あらかじめ夕食の支度をしておいて
私は全てレッスンを終えてからいただくのですが
親父殿は自分のペースで食べてもらうようにしています

レッスン室とプライベートは別になっているのですが
出来るだけ食べ物の匂いを出さないようにするためです

昨晩、ふと言われました。
「だいたいどんなおかずが並んでも、味の想像がつくようになった」
おー親父殿にしては何て自由な発想

そして
「俺はお母さんの料理が思い出せなくなってきたなぁ~。おふくろの玉子丼はすぐ思い出せるんだけど」
と。
…確かに。
私も、母の料理の味が思い出せなくなっていたことに気づきました。
母があの世の住人になって、
そんなに月日が経ったのかなぁ…。
味付けが濃い人だったので
醤油たっぷりの「しょっぱい」味が印象的でしたが
「母の作ったあの料理がもう一度食べたいな」
とか
「母が得意だった料理を再現したい」
とか
全然思い出せないのです。
「毎日一生懸命生きてきただけで、母の味を思い出してる余裕がなかった」
だけなんです。
…何だか急に心に風が吹いた気がしました。
「私にとっておふくろの味は何だろう?」
望んでも叶わないことだから仕方ないし
私にはもう
朝起きたら
私のために朝食やお弁当を作ってくれる人もいない。
当たり前だし
みんなそうやって「してもらう」側から
「してあげる」側に変わっていく。
そしてだんだんと
「おふくろの味」は変化していく。
昔は大家族だったから
「おふくろの味」
「おばあちゃんの味」
「嫁さんの味」
が同じ食卓に並んだものだけど
親父殿がふとこぼした
「この味が、これからうちの味になってお前の家族が食べていくんだな~」
という一言が
何だかズーンと響いたのでした。
今現在
お母様がご健在でいるならば
みなさん「おふくろの味」をおねだりしてみて欲しいです

そして
今現在「お母様」の方々
どうぞご家族にたくさん
「おふくろの味」を
食べさせてあげてください
