誰でも、人それぞれ、その時々で壁がある。
全てがわかりやすい壁では無く、ぶつかっている事にすら気が付かない、表面化しない壁がある。得てしてそれは、第3者には良く見えている。
「変わらなきゃ」とは誰でも思う。「成長したい」と普通は思う。
「壁を乗り越えなくては」と見えているものに対しては、素直に思う。
しかしながら「見えていない壁」に対しては、誰しも鈍感である。当然と言えば、当然ではあるが、実感がないものに対しては、目を向けないものである。

そこで考えてみた。良く問題点を改善出来ずに悩む事がある。
目に見えている問題点は、すでに改善できるものである。
もし改善出来ない、改善の仕方がわからないのであれば、問題の本質は今、目に見えているものではないのではないだろうか?と疑いを持つ必要がある。
現状起きている問題・課題の発端は、全く関係の無い、思考、経験、周囲の環境などに帰属している可能性は無いのか?様々な角度から検証してみる必要がある。問題が起きている以上、原因は必ずあるはず。
「自分を熟考する」というのはここにあると思う。
そう考えると自分の全てをあらゆる角度から検証してみると答えが出るかも知れない。逆に言えば、自分の全ては自分しか検証出来ない。
常に自分を熟考していく事が出来れば、少なくてもわからなくなる事は無い。
熟考した結果、見出した答えが、一人で解決不可能なものならば、周りに協力を願い出れば良い。そういう環境にいるのだから。幸せなのだから。
自分の熟考すらしないで、「成長したい!」という戯言である。

昨日、たまたま電車の中で昔の部下に会いました。

3年ぶりの再会でしたので、若干の懐かしさを覚えました。

彼は現在27歳で入社6年目、いまやエース的存在で、

私が当時担当していたエリアを受け持っているそうです。

彼の成長が喜ばしいのは言うまでもありませんが、反面大きな違和感を

覚えてしまいました。


会社の締め付けの厳しさ、忙しさへの不満等が続々出てきます。

プライベートでは入籍をしたらしく、充実しているはずですが、

それさえも、なんだか明るい話に感じない程でした。

上場企業、業界のリーディングカンパニーでエース的存在。

申し分の無い肩書です。

しかし、彼は明らかに「疲弊」にしている様に思えました。


仕事をすれば疲労するのは当たり前ですが、心まで疲れ切ると

それは疲弊となってしまう。

この違いは何か?

「目標・希望・夢」が心の疲れを癒すのではないか?っと思います。

私自身は大きな目標と成功への希望、叶う夢の中で仕事をしている実感と、

同じ環境にいる仲間に囲まれているからこそ、

この違和感に気が付いた。そういう風にも思います。


これから企業規模が大きくなるにつれ、ぶつかる課題。

大きくなった時ににぶつかる課題。

社員の心と密接に関わるものが増えてくるはず。


全てにおいて敏感に感じ取る感性を鍛えなければ!

ゴールは無い!


学ぶとは・・・


まなぶとまねるが同源で同意義語らしいです。

学ぶ=勉強

真似る=パクリ

印象こそ違え、自分のものになっている点では同じ価値がある。


特に人の良いところだけを真似るのは、

本読む、知識・教養を広げる以上に必要不可欠な事だと痛感しています。


今は私はまねています。尊敬する上司であり、敬愛する友人から一つでも

多くの良いところをまねています。

知識的な事は学びで会得出来ても、精神的な部分はまねる事から始まる気がする。

考え方や発想は特にまねる要素が大きいと実感しています。


人の根幹は生きている限り、成長も衰退するもの。

あらゆる勉強とまねる事で活力を与えないと、衰退の一途を辿ると思う。


誰でも長所、短所があり、完璧な人間などいない。

故にまねる事が上手な人ほど、色々な要素を取り入れる事が出来、

多方面で支持される人間に近付くのであろう。


まねる事が上手な人間になろう!

反面、まねてはいけない所もしっかり見分けられる人間にもなろう!