連日の猛暑には閉口ですね。

 

 
だから 
というわけでもないのですが、
 
交流分析の本題に入る前に、まずは、気分転換に、提唱者というか開祖のエリック  バーンの略歴について、軽くお話しておくことにしましょう。
 
情報は、
ericberne.comの記載や、イアン  スチュアートの著作からになります。
 
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バーンは、1910年5月に、カナダ モントリオールに、ロシア ポーランド系ユダヤ人の両親の間に生まれます。
 
出生児の名前は、エリック  レオナード  バーンスタイン。
 
エリック  バーンと改名したのは、後に米国籍を得たときなんですね。
 
で、父親は医師、母親は文筆家でした。
 
そう、医師であり、後にベストセラーを生み出すバーンは、両方の親の生き方を継いだ人生を歩まれたのですね。
 
(* バーンの 著作 Game  People  Playは、1960年代のベストセラーになり、その後、全世界で20言語以上に訳され、約500万部が売れています。)
 
父親は、貧しい人たちは無料で診察するような医師で、エリック バーンは、とても敬愛していましたが、バーンが10歳のときに、結核のために38歳で亡くなっています。 
 
その後、バーンは、父親と同じカナダのマギル大学医学部に進み、そこでは外科修士を取得します。
 
精神科医の研修を受け始めるのは、その後、渡米し、エール大学入ってからのようです。
 
当時、バーンは、かかりつけの歯科医と連名で面白い研究論文を「歯科雑誌」に出していますよ。
 
実は、バーンもご多聞に漏れず、歯科治療にはそれなりに緊張したらしく、そのことをきっかけに、いろんな患者を観察し、歯科治療における「不安と痛み」とのテーマで論文を書いているのです。なんだか、少し、親近感がわきません?
 
 
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詳細は飛ばしますが、
 
バーンは、教育分析を、自我心理学のポール  フェダーンと、ライフサイクル論で有名なエリック エリクソンに受けているのですが、後に、交流分析を提唱するにあたって、彼ら先人から学んだことも、反映されています。
 
また、当初は精神分析医になろうとしていたので、フロイトの転移や逆転移、反復強迫の概念とも、交流分析は関係しています。 
 
だから、交流分析は、精神分析の口語版とも言われるのですね。
 
ただ、残念ながら、 
希望した精神分析協会へのバーンの会員申請は却下され、それをきっかけに、自身の心理療法論としての交流分析を本格的に展開することになったようです。 
 
(却下の背景には、バーンの発表していた論文が、フロイト理論とは相容れないところがあったからとか。)
 
万事塞翁が馬!
災い転じて吉となす!
 
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ところで、バーンは米軍の軍医として働いていた時期もあるのですが、
 
短時間で多数の入隊者を判断する中で、「直観」と「客観的事実」のいずれをも大切にすることを目指すようになります。
 
「直観」は可能性を、「科学的技法」は確実性を治療にもたらすと言っています。
 
なお、バーンは、交流分析だけでなく、グループ療法や、精神医学の各国比較研究みたいなことにも関心を抱いていたようです。
 
いろんなことに興味があったのですね。
 
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さて、 
バーンは、プライベートでは、三度の結婚、離婚を繰り返し、4人の実子のほかに、養子もいました。
 
バーン自身は、個人的なことは、お弟子さんや仲間たちにも殆ど語らなかったと言われています。
 
多くのお弟子さんや仲間たちに敬愛されながら、その愛を率直に授受しあえる人ではなかったことを残念に思う人たちもいたようです。
 
交流分析の目標能力の一つが「親交」であることを思うとき、こうした話しからみるバーンの生き方には、少し複雑な思いもします。
 
とにかく、
交流分析の理論のシンプルさ、明快さとは異なり、バーン自身は複雑な面があったらしく、人によって、バーンに対する見方はかなり違ったみたいです。
 
 
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バーンの略歴を見ていると、治療を行い、教育や講演を行い、大家族の父親として振る舞い、その間も絶え間なく論文や書籍の著作を行い、結婚、離婚を繰り返し、
 
軟弱な私などは、想像してみただけで、些か頑張り過ぎのような印象を受けるのですが、
 
結局、バーンは、残念なことに、60歳で、心臓発作で亡くなっています。
 
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バーンの没後も、お弟子さんたちの手によって、交流分析は、いろいろ展開をしています。
 
というわけで、
今回は、エリック  バーン、トリビアでした。😊