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from between Digital and Live

福岡で演劇とウェブディレクターやっている村井善幸のたわごと集

というわけで、創ってます、作品。
正確には、まだ創る前の下準備に追われてるんですけど。

サイトのアドレスだけ押さえていて、どういうコンセプトだとかそういうかしこまった話を書かなきゃならないんだけど、これが上手くまとまらない。
難しいもんです。
キャスティングオファーするときも何度も語ってきたし、企画書も書いた。
でも、今度はお客さん向けということで、そのままでは違うかな~という部分もあり、ピンと来ない文書をこねくり回していたりします。

簡単に、乱暴に書けば、
これからも活躍しそうな若手を、普段接点のなさそうなところ繋ぐように集めて、ワークショップ風に作品を創る、それがたぶん、未来への刺激になると信じてる
と言ったところでしょうか。
あ、この文はすっと書けたな。なんでだろ?気負い過ぎてたかな?

とまあそんな感じです。
ツイッターではちょいちょい情報出してるので今更ですが、お見守りくださいませ。
予定入っちゃってて、参加は出来ないんですけどね。


劇作家のためのリーディング企画 ブラッシュ ~観客参加型の作品ディスカッション
第一弾は1/28


脚本の出来をよくする方法としては、
・ともかく脚本家ががんばれ、勉強しろ、という「根性論」と、
・良い脚本家だけが生き残っていけばよい、という「淘汰」
とが良く言われると思う。というか基本それだけなんじゃないかと。

これらは本当に、真っ当すぎるほど正解で、実際良い脚本家を輩出するには、みんなが必死こいて書いて、それで面白いモノを書く奴だけが残ればいいって話なんだけど。

実際に書いている人にとってはワンオアゼロの無常な方法論で、そうではなくて自分の書いている作品の質を着実に上げていくメソッドを求めていると思います。

それは例えば、ドラマティックな物語になるためのフレームワーク(「起承転結」みたいなやつ)や、書いた戯曲を推敲していくための検討方法であったり。
「クリティカルレスポンス」というのは、その検討方法として有効かもしれないというやり方のひとつですね。


劇団だともっと深刻で、座付き作家の出してくる質が劇団の盛衰に直結するので、劇団員としてもできることなら作家の書いたものをよりよくする作業に関わりたいし、関わるべきでもあります。

しかし戯曲について作家以外の人間が口を挟むことは、とてもデリケートな作業になるし、ともすればタブーとされていることでもあります。
本来は、劇団の創出する作品のクオリティは、劇団員全員で責任を負うので、劇団員が戯曲について云々するのは当然なんですけどね。
でも言い方も難しいですが。

クリティカルレスポンスなどの方法論が浸透すれば、もっと積極的に戯曲のレベルアップについて活発に議論ができるようにはなると思います。


というわけで、劇団に所属している人で、劇団のレベルアップを考えている人は観に行ったほうがいいと思いますよ。
この新年は、「明けましておめでとうございます」と言うのをはばかる考え方がある、というのを何件か聞いて、震災直後に考えたことを思い出した。確か3/12くらい、わりと早い段階で思い至ったと思う。

僕はこれまで、37回よりは少し少ない回数(物心ついてからなので)、「明けましておめでとう」と言い、思ってきた。
そのすべての年で、おそらく、旧年中に親しい人を亡くした方、新しい年になっても将来のめどが立たず絶望している方が、きっと世界中に数千万人いたはずだ。

3.11、震災のときも、ニュースを見てあまりのことに途方に暮れ、いっとき自分を見失っていたが、他方、どうしようもないと諦めもしていて、東京に居る親戚や友人のことは心配するのを止めた(東北には知り合いといえば離別した父親ぐらいしかいないのでまったく心配しなかった)。
とはいえ、僕が顔も知らない人たちがたくさん亡くなり、また住む場所を失って苦しんでいる、そのことについてやはり考えざるを得なかった。

で。
確かに同じ日本人だから衝撃的だけど、同様に僕が顔も知らない人たちが不幸に亡くなっていく事例って、世界中ではこれまでもたくさんあったよなあ、ということに気がついた。

はてさてそのときどうしてたか?ニュースで知ったときには、それなりに心を痛め、それなりに他人事としてやり過ごしていた。

なぜか?心が持たないのだ。本当に真剣に想像して心を痛めていたら、心が壊れる。

ビートたけしが言ったとされる言葉で、

この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

って言うのを聞いた。
「ふざけんな、綺麗事言うのもたいがいにしろよ!」って思った、正直。
人がひとり死ぬって、すごく辛いことで、悲しいし、落ち込むし、立ち直るのにエネルギーがいる。ひとりの力では立ち直れないこともあるかもしれない。
それを2万件って、本気で想像したら確実に心が壊れる。無理。
だから僕は絶対にそういう考え方はしない。

災害に遭われた方には申し訳ないことだが、僕にとって3.11は、たまたま自分は被災しなかったし、親族友人もみんな無事だった、としか捉えていない。
下手に被災者の方に思いを巡らせて、僕自身の心を壊してしまうのでは、それは無駄に「被災者」を増やす、愚かな行為だとも思った。

だから。
僕は自分の幸運に感謝をし、その分自分に与えられた生を充分に活用することだけを考えようと思う。

だから。
僕は今年のスタートを、高らかに、「明けましておめでとうございます!」という。

別にこの考え方を人に押し付けるつもりはないし、こんな考え方の僕を「不謹慎め!」と罵るのもお好きにどうぞと思う。

とにかく僕にとっては、2011年も、地震にも津波にも遭わず、放射能にも怯えることのなかった普通の一年、2010年以前のあらゆる天災や戦争や事故犯罪に怯えることのなかった幸運な毎年と変わらない一年だった、そう思うことにしています。
今この瞬間にも世界中の何処かで死に瀕している誰かを想ってあげられるほど、僕は強くないから。