2023/12/05
日々の習慣で日記を続けているが何の目的もなく書きたいことを書いている。かって自分の理屈で日記は日々の生活において何か<見た、感じた、考えた、行なった、知った>と云う出会いがある。その中の何かを書ける一日でありたいと考えた事もある。
今では日記を無目的な行為として楽しんでいる、それ以外にも自分の自由さで<毎日必ずバッハを聴き続けている行為も然り>何も考えずに聴きたいから聴いている。こんな受けとめ方や考え方も一つの考え方であろうか。
顧みて日記もバッハも遺伝子の働きと思える。家訓に掲げている會津八一の學規の第4項「日々新面目あるへし」につなげたい気がする、即ち日々自分らしくあれを実行しているつもりかもしれないと自分の自由さを思えてならない。