2016.1.29
バッハの音楽をかって宗教音楽と受けとめていた時期
がある。今では端的に宗教音楽ではなく、宗教心の音楽
と受けとめている。
宗教と宗教心は生き方の違いに過ぎない、何れも自由
であるが、自分は明らかに後者のタイプで宗教心という
ものを大切に思っている。
宗教心として、バッハが死を憧憬したのは生命に対す
る感謝の念であろう。私の場合は仏法の影響から自分で
生命を選べない、生命の方が自分を選んだと思っている。
三十代の10年間に仏法の勉強に出会った経験があり、
私の人生観には久しく、仏法は宗教ではなく哲学として
享けとめている。
仏法を人間の勉強として、人間は元々≪無≫から成立
っている観方がある。それこそが無意識の内にある生命
の力と思わずにいられない。
今朝から「音楽の捧げもの」を聴いている、ここにも
明らかにバッハの意図した充実と安心の源である生命の
力を実感してやまない。