バッハと私(104) ゴルトベルク変奏曲の花 | 日々新面目あるへし

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ブログを続ける指針に、会津八一の書「学規」に学びたい。
 一、この生を深く愛すへし
 一、かえりみて己を知るへし
 一、学藝を以って性を養うへし
 一、日々新面目あるへし

2015.4.18


 バッハの曲を唯一選ぶとするならなら、「ゴルトベルク変奏曲」と

思っている。大げさにも「 この曲は私の人生を洗い清めてくれる 」

とほめたい。


 誰しも共通の経験と自分だけの経験があって、自分の生き方を

見出してゆく。古典音楽の場合も然り、バッハに花を見出した自分

を眺める。


 バッハ夫人のアンナ・マグラレーナ回想記に、バッハはそのこと

について一言も語らなかったが、常に死を憧憬し、死こそ全生活

の真の完成であると確信していた、今こそ私はそれをはっきりと

信ずるとある。


 私の意識は死とは、≪無に帰する≫と受けとめている。バッハの

ゴルトベルク変奏曲は、そんな私の決して気付かない無意識層に

語りかける。私も無意識のうちに死を憧憬しているのであろうか。


 死を語ることは無く、また語るものではないだろう。しかしバッハ

のように憧憬するものでありたい。私の意識は、元々自分の生存

は無から始まっている、そういう無の憧憬に重なる。


 ゴルトベルク変奏曲から≪無≫という花が伝わってくる。それは

自分だけの経験と自負している、人には話せない自身との対話で

ある、そんな自分にゴルトベルク変奏曲は嬉しい音楽である。