2015.4.18
バッハの曲を唯一選ぶとするならなら、「ゴルトベルク変奏曲」と
思っている。大げさにも「 この曲は私の人生を洗い清めてくれる 」
とほめたい。
誰しも共通の経験と自分だけの経験があって、自分の生き方を
見出してゆく。古典音楽の場合も然り、バッハに花を見出した自分
を眺める。
バッハ夫人のアンナ・マグラレーナ回想記に、バッハはそのこと
について一言も語らなかったが、常に死を憧憬し、死こそ全生活
の真の完成であると確信していた、今こそ私はそれをはっきりと
信ずるとある。
私の意識は死とは、≪無に帰する≫と受けとめている。バッハの
ゴルトベルク変奏曲は、そんな私の決して気付かない無意識層に
語りかける。私も無意識のうちに死を憧憬しているのであろうか。
死を語ることは無く、また語るものではないだろう。しかしバッハ
のように憧憬するものでありたい。私の意識は、元々自分の生存
は無から始まっている、そういう無の憧憬に重なる。
ゴルトベルク変奏曲から≪無≫という花が伝わってくる。それは
自分だけの経験と自負している、人には話せない自身との対話で
ある、そんな自分にゴルトベルク変奏曲は嬉しい音楽である。