一昔前の小説家は万年筆や鉛筆で原稿用紙に書いていたが、最近の芥川賞や直木賞

作家は大体パソコンで小説を書いている、処が世の中には「口述筆記」の手法を

取っている作家もいるのだ。 これをやるには相当にアタマが理路整然と整理され、

秀でた記憶力が無いと到底不可能だろう。

 

しかも通常、口述筆記した原稿を、編集者が追って作者自身にチェックして貰い、

相当部分を加筆修正しない限り ”文章体” には成らない。

原稿用紙に書いても、何度も推敲するのが普通と云われているのだから。

              

 

以前当ブログで触れたが、三島由紀夫が口述筆記する場合は、殆どと云って良い程に

加筆も修正もする必要が無い程、口述自体が既に文章体” になっていると云われている。

   

昭和34年に口述筆記により「文章読本」が発刊されたが、当時の「婦人公論」編集者

近藤信行氏曰く、『座卓に両肘をついた胡坐の三島さんは、愛用のを深く吸い

込んだと思うと煙を吐き出して、スラスラと喋りだす、機械の様な正確さで殆ど淀み

なく言葉が流れ出るのだった

 

この口述を2時間、4回行われ後で口述筆記した 原稿を持参、簡単な表記を訂正した

だけで、特に加筆はしなかったと。 常人には正に神業と云える。

 

昭和45年9月、自決の2ヶ月前に三島由紀夫の「革命哲学としての陽明学」が発表された。

これも正に口述筆記による作品だった。 雑誌「諸君!」編集者の田中健五が書いて

いるのだが、三島が 『俺は今陽明学の事しか興味が無い、陽明学に就いてなら喋って

も良いよ、但し原稿を書くのはお断りだ。忙し過ぎるのでね』と、それはそうだろう

数ヶ月後には自刃を決意していたのだから超多忙の三島由紀夫だ。

 

昭和40年代に入ってからは陽明学しか関心が無いと云っていた三島の関連本

 

それで、編集者が用意した麹町の旅館に来た三島が、『それじゃ始めますか』と云う

や否や「である」調の文章体で話し始めた、正確で論理的な文章が滑らかに口をついて

出て来た、殆ど言い直しが無いのだ。

 

三島由紀夫の底知れぬ明晰を見せつけられた と、その編集者は述べている。

事程左様に、矢張りこの点でも天才異才の三島由紀夫なのだ。

 

参考文献:三島由紀夫/三島由紀夫全集/川島勝著 三島由紀夫/三島由紀夫ある評伝

     文章読本/革命哲学としての陽明学