連休中、衣替えの大荷物を持って長男、義弟と4人で義父に面会に行ってきた。私は行かなくてもよかったのだが、気になっていたのでお伺いを立てたうえで約2か月ぶりについていってみた。
ちょっとびっくりした。
かなり痩せてあんなに大柄だったのに車椅子に座っていたこともあるが、一回り小さく見えた。止められない衰えを目の当たりにして、何かものすごく悲しくなってしまった。
ひと月ほど前に転んで怪我した傷が、大きくはないものの脳梗塞を防ぐための薬の影響でずっと出血していて治らず、絆創膏が貼られていた。
食も細くなり、入院中でも病院食は完食していたのが、今では完食できなくなったらしい。体が一回り小さくなってしまったのはそういうわけなんだな。
話を聞いてると、やはり寂しいようだ。
感情としては、寂しさと哀しみとやりきれなさみたいなものがまだら模様で見て取れた。
帰りたい、と言っては涙があふれ、そうかと思うと自尊心を傷つけられたと思うのか突然怒って大きな声をだしたりする。
ダンナはせん妄がでてきて作り話と現実の見境がなくまだら模様だといっていたが、私の印象はちょっと違った。
どちらかというと頭に浮かんでいることの一部しか言葉にできないためうまく伝わっていないように見えた。仮定の話が妄想と勘違いされているというか・・・。
気持ちがうまく言葉にならずに伝わらずもどかしいのかもしれない。
いずれにしてもとにかく「帰りたい」という気持ちが強いようだ。
今回持って行った大荷物を見たら家へ帰れる、家族でどこかへ行くと勘違いするかもしれないから、と目に入らないようにする配慮が必要なほどだ。
話をしていても、義母や自分が生まれた街の話を繰り返し、「帰りたい」と涙ぐむ。
何も知らなければ、どうして家に帰してあげないのか、と思うかもしれない。どこか思い出の場所へ連れて行ってあげたい、とも思ったりもする。だけどもう
どこへ行ってもどこかへ帰りたいのだ。
常に「ここではない」というどこにいても何かしらの不安感があるんだと思う。郷愁というか。帰巣本能というか。
でも自分が生まれ育った場所はもうない。(戦争前の都心部)
実家にいる義母も以前の元気な義母ではない。
そういうわけで施設が義父の帰るところなのだ、住めば都で慣れてもらうのを待つほかない、と家族で相談してしばらく面会に行っていなかったという側面もあったのだ。
何かをしてあげたい。
そう思うのはやまやまなのだが、先日、長男にも愚痴ったところ
「余計な口も手も出さないほうがいい」
と釘を刺されてしまった。
また、認知機能もだいぶ衰えているようだ。
ダンナの名前と長男の名前はかろうじて出てきたが、義弟の名前はでてこなかった。会話の途中で怒っていたので、おそらく家族だということはわかっていると思うが。私のことは見たことがある程度だったかもしれない。施設の人と混同しているかもしれないし、それを指摘されることも本人の自尊心を傷つけるかもしれないので、あえて追求しなかった。
減薬のおかげか激昂することも減ったが、元気もなくなった。
こんなに短期間で認知症って進行するものなんだなぁ。
今年の正月は薬を飲み忘れるなど、まだ物忘れ程度だったのに。