Xの投稿で
何故、普通の学校に
障害者も来るのか?
支援施設(病院)とかにいた方が
本人的にも過ごしやすいのではないか?


みたいな意見があったが。


自分が入院中の時の事を
思い出してみると


正直いうと
確かにその方が
楽しかったかもしれない。


私の場合
入院直後から
ほぼ意識も無いような感じだったので
悪い時期が分からないのだが
回復した頃は
殆ど同じ病棟の子と
遊んでいるような感じだったので
それはそれで楽しかった。


新潟大学病院なので
結構店も充実しているのよ。
(あの時代にしては)


レストラン、ラーメン屋もあるし
自販機の種類が多いことにも
ビックリしたし
朝、病棟に新聞を売りに来る人までいた。


余談だけど
あの当時
ヤクルトの自販機があって
ヤクルト製の缶コーヒーがあったが
そのイメージキャラに
『とんねるず』がやっていて
それが凄く印象に残っている。


今思うと
本当に有難いところだった。


何故一緒に学ぶのかということだが
個人的な意見として


戦争の悲惨さを伝える教育と
同じようなものなのではないか。


これだけ大変な思いをしてる子が
身近にいるということ。


元気でいられることは
凄くありがたいことだというのを
教える意味もあるのだろう。


逆に当事者としては
障害者以外の
友達作り的な意味もあるだろうし。


障害者だけの
狭い世界の中では
学べるものも少ないだろう。


また普通の学校へ行くだけで
障害が少しは和らぐと言うか
本人の生きる活力
挑戦してみよう
という気持ちにもなるだろうし。


金にうるさいものに対しては
それで元気になれば
医療費も少なくなるだろう。


簡単に言えば
人の痛みのわからない
クソ野郎に育たないようにするため。


障害者以上に障害のある
無能政治家
無能教師等を
生まないため。

 

 


学校は学業を優先する場
友達関係は副次的なものだ
レベル分けした方が絶対にいい
というコメントがあったが


確かにレベル分けした方が
効率的にはいいのかもしれない。


けど学業優先だと
本気で強くいうくらいの
意見に対しては
本当に大学一辺倒主義的な
人間味のない
無能エリート的な体質に見えて
こういう人間は
作ってはいけないと思ってる。


何故ここまで言いたくなるのかと言うと
私の学生時代の経験上
こういう人間が
いじめ加害者に多かったことが一つ


こういう洗脳で疲弊して
ひきこもりになった人が
多いことが理由にある。


いじめ加害者は
親もろとも更生させないと
意味がないと思っているので
インクルーシブ教育だけでは
難しいとは思うが。


好きなこと
得意なことを
伸ばすのはいいことだが


ギフテッド的に
今のレベルが遅すぎて
ストレスを感じるなら
それは学校以外の場で
好きなように
勉強すればいいのではないか。
(そういう場が
少ないせいもあるのだろうけど)


そういう人が勉強して
医者になっても
誰もあなたを頼らないし
尊敬もしないだろうとも思う。


こういう人間がいるから
大学受験でも
道徳の単位的なものというか
いじめ、障がい者についての教科を
6教科目として
英語や数学と同じように
必須科目にするべき。


大学受験のため
テストのため
だけの学校。


勉強が出来る組と
そうでない組と
分けるのではなく


いじめ加害者タイプと
そうでないタイプに
分けるようになれば
いいとは思う。

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