今月はじめの帰省では、がーちゃんのいないお庭 という現実と向き合ってきました。
ある雨の日、天国へ旅立ったがーちゃん。前回わたしが帰ったあと、しばらくしてです。
いなくなる一週間前から何も食べなくなって寝るばかりで、3日前からはデッキの下にもぐりこんでいました。 それでも母がお庭にでると、下からにゃーと、か細い声で呼んでくれたそうです。
「もうあまり長くないような気がしたのでお父さんに会いに行ってもらったら、がーちゃん 精一杯 声をだして鳴いたんだよ~! ママは何度もがーちゃん見に行ったわ。必ず鳴いてくれるの。あんなせつない声、もう一生忘れられない」
5月23日 雨の朝、起きたらデッキの下からいなくなっていたと母がメールをくれました。
いつかこんな日がくるとは覚悟してたけど、やっぱり寂しい。寂しいのは自分たちが我慢すればいいけど、雨の中、最期を迎える場所をさがしてとぼとぼ歩いていったがーちゃんのことを思うと辛かった。あの日はとても寒かったから・・ でもがーちゃんが選んだタイミングだからそれでいいんだと思うことにしています。
一番近くにいた母の気持ちを思うと、かける言葉もありませんでした。がーちゃん、ママが大好きでいつもそばにいました。でももう、母も私も乗り越えたので大丈夫ですよ!
私たち家族にとって天使のような存在だったがーちゃんは、いまは本物の天使に。私はもともと離れていたから、今はかえって近くにいてくれてるような気もしたりして。
帰省した翌朝、お庭に向かっていつもどおり、「がーちゃーん、おねえちゃん帰ってきたよー」と何度か呼んでみました。 空耳でもいいから ぎゃ~ って聞こえないかな、幻でもいいから ちらっと姿が見えないかな。 オバケでもなんでもいいから。
返事はなかったけど、さわさわと風がそよぐお庭をみてたら、きっと聞こえてるやんな、がーちゃん!と思えました。 いつもふらっとやってくるので、落ちつける居場所 (しょぼくれてた前回、厳選して載せたフォト・・笑)とか、その辺の茂みにいてそうな気がしました。
最期を見届けていないおかげで、そんな風に思えるのかな。(飼い主に死ぬ姿を見せないのは猫の本能だといいますが、がーちゃんのやさしさにも思えたり・・)
じつは昨晩、あれからはじめてがーちゃんを夢のなかで触りました。実家のお勝手口を出たところでいつもどおり丸まってるがーちゃん。 (死んじゃったという意識はなくて) 「わあ がーちゃん久しぶりー!!」といって手を伸ばしてた。 また、夢のなかに遊びにきてくれないかな、がーちゃん。
下の写真は、がーちゃんらしいストーリーも含めてお気に入りで、額にいれて飾っています。(たまに手に持って音楽にあわせて踊ったりしてます ←撫でたり抱っこができない代わりが、なぜか踊ることになってる 笑)
天国にいったこと、なかなか書けずにいましたが、あの日のような冷たい雨のおかげか今日は一気に書けました。(ふう、すっきり) これまでがーちゃんのことを可愛がってくださった皆さま、ありがとうございました!がーちゃんは、天国(ときどきうちの庭?)でたのしく暮らしてます。
写真、たくさん撮っててよかった
<後記>
やっとがーちゃんのことが書けて、感情のデトックスができたような気がします
→ 哀しみと向きあう



