アメリカの学会で発表されるらしいですが、年収の増加に伴う幸福感は
年収630万円程度で頭打ちになるそうです。
年収630万円までは満足感も感情的な幸福感も上昇するが
それ以上に年収が上がったとしても、満足はしても幸福感は
頭打ちになるというアンケートヒアリング結果だったらしい。
感情的な幸福感をヒアリングする際の項目に
昨日笑ったか・・というようなものが入っているようで
なるほど、幸せな生活を感情的に実感できるかどうかを
指標にしているようです。
これ、大いに納得なんですよね。
例えば私の場合
高校1年になって独り暮らしを始めて、最初に手に入れた
我が城に感激感動・・。
でも、6畳一間、風呂無し、トイレ共同(和式)、エアコン無し、
もちろん給湯なんてなし。
西陽のあたる暑くて古い木造アパートでした。
でも、その後に何度か引っ越して、マンション暮らしになり
グレードも上がっていくにつれ・・・幸福感は薄れてしまいました。
「高校生の頃に、ボロアパートで初めて独り暮らしをした時の
生活の方が、充実感があったんだよな」
友人に良くそう話をしていました。
設備には満足できても、日々の生活充実度は比例していなかったわけです。
もうひとつ
不況で就職氷河期での就職でしたが、順調に内定を獲得して、
転職に加えて結婚も離婚もあったけど、キャリア形成と年収は
同年代のそれよりも客観的に判断して上回っていたはずです。
(あくまで同年代の平均的なところと比較して・・・ですが)
それでも、転職した際に年収が下がった時もありました。
一端年収が下がった時期に再婚した奥さんとの生活は
経済的には我慢我慢の生活でしたが、慎ましくて平凡でも
それはそれで良い生活だと思っていました。
ただ、反面
生活を良くしようと、ビジネスで頑張って所得を上げようとするのも
夫の務めとして当然で。
その後、飛躍的に年収は上がりました。
いわゆるサラリーマンの範疇で言うなら、勝ち組の年収っていう
水準を超えて、最年少で部長に昇進した頃です。
(10歳以上飛び越しての昇進でしたので、年収も当然・・・です)
ただ・・・私の場合は、年収がその<630万円>という額面の倍になっても
満足度はマンション購入程度しか上がらず、どこまで我慢すれば良いのか
いくら年収が上がれば満足できるのか、そして幸福になれるのか
見失っていた状態でした。
そんな状況ですから、家庭内での笑顔は恐ろしい程に減りました。
自分が病気になっても、独りで入退院したり一緒に寝たりすることも
なかったことに不満が募り・・・週末の食事を以前と同じく
慎ましやかにレシピ本通りの食事で済ませて、年収が上がろうと
下がろうと一向に変わらない暮らし向き。
いくら頑張って年収が上がっても
内情を良く知らない他人様からみれば、十分な年収になっていても
単なるルームシェアリングをしている共同生活者でしか無くなって。
満足度も中途半端、幸福感は・・・一気に薄れてしまい
家庭が破綻しました(破綻させました・・が、正しいかな)
感情的な幸福感がどれほど重要か
年収に比例して、幸福感なんていうのは上がらないというのは
実感してる分、おおいに納得でした。
生活の経済的な満足感に加えて、それを一緒に目指して楽しく
笑顔で暮らしてくれる人こそが、伴侶・パートナーだと思います。
それはお互いが成し得ていくことなので、幸福感を高める努力が
そもそも他人どおしの夫婦に必要なことなんだなと再認識です。