元日に起きた

能登半島地震のニュース。

 

 

皆さんは

どのような気持ちで

ご覧になられましたか?

 

 

被災地の倒壊した建物や

激しい火災を見たとき、

 

私は29年前の1月17日に起きた

 

阪神淡路大震災の記憶が

 

重なって見えました。

 

 

特に火災が激しかった地域は、

 

神戸市長田区で起きた火災に

 

とても似ていると感じました。

 

 

今日は私が経験した

 

震災の記憶について

 

綴ってみようと思います。

 

※辛くなる方は読み進めなくて大丈夫です。

 

 

 

  震災の記憶

 

 

当時、7歳(小学1年)だった私は

 

神戸市灘区に住んでいました。

 

 

地震が起きた朝5時46分

 

 

私は2階建ての自宅の寝室で

 

両親や弟と一緒に寝ていました。

 

 

 

突然、まるで洗濯機の中にいるような

 

大きく回転する激しい揺れ

 

目が覚めました。

 

 

そして私はわけも分からず、

 

必死に敷布団をつかんでいました。

 

 

 

震源地は淡路島北部、

 

震度6強~震度7

 

マグニチュード 7.3

 

の激しい地震でした。

 

※マグニチュード(地震の規模)

 7以上が大地震の分類。

 

 

 

当時、家族全員が寝ていた寝室には

 

横幅1メートル以上の

大きなタンスが3つもあり、

 

タンスに囲まれるような形で

寝ていました。

 

 

あのタンスのどれか一つでも

 

倒れてきていたら...

 

と考えるとゾッとします。

 

 

幸い、タンスは一つも

 

倒れなかったため、

 

家族全員ケガはなく無事でした。

 

 

 

あのとき、誰も大きなケガをせず

 

助かったのは本当に奇跡だなと

 

今でも思います。

 

 

 

自宅は半壊になりましたが

 

1階部分は潰れずに済みました。

 

 

外へ出て近所の様子を確認したあと

 

すぐに家族全員車に乗りこみ、

 

大阪の祖母の家へ避難しました。

 

 

 

あのとき車から見た光景は

 

今でもよく覚えています。

 

 

地面が割れて突き出した道路、

 

M字に波打って曲がったアパート、

 

ケガをして歩いている人、

 

斜めに倒れた高速道路...

 

 

 

 

 

倒壊した阪神高速のそばを通って

 

大阪へと向かうなか、

 

大変なことが起きたんだな...

 

子供心に感じていました。

 

 

 

当時通っていた小学校には

 

震災後は結局一度も登校しないまま

 

大阪に引っ越すことになりました。

 

 

そのため、クラスメイトの安否は

今も知らないままです。

 

 

もし知っていたとしても、

 

おそらくショックを受けていた

可能性が高いので、

 

ある意味

知らなくて良かったのかもしれない...

 

と今は思っています。

 

 

 

  震災を通して思うこと

 

 

震災の経験を通して

 

今の私が感じることは、

 

 

「いま」の自分が在るのは

 

  決して当たり前ではない

 

 

ということ。

 

 

 

生きているということは、

 

目に見えない力によって

 

「生かされている」ということ

 

だと気付かされた経験でした。

 

 

 

人生は小さな奇跡の連続によって

 

出来ています。

 

 

私はこれからも

 

「いま、この瞬間」

 

大切にして

 

生きていきたいと思います。