3/27日 母が亡くなった(泣)まだ67才
 
母は以前から足がむくむが朝には引いていたので、そこまで、重大ととらえなかった部分があったんだと思う。
 やっと大きな病院への紹介状で検査し
肝細胞癌と3/11告知を受けた..末期だった。
 翌日から入院し抗がん剤治療を開始したが母の場合門脈に大きな腫瘍が出来て血管にふたをした状態となっており、下に流れた血液は行き場を亡くし足はぞうさんのようにパンパン
 腹水はたまり息苦しくなっていた。それでもまだ母は歩けたし、話もできて笑顔もみえた。
その間コロナで母への面会は、できませんでした。

 錠剤の抗がん剤なので、入院は一週間の予定でしたが退院前夜、血便がでて退院できず、検査の結果食道動脈瘤がボコボコと竜のようにおおきくできていた。血液が行き場をなくした先は食道動脈瘤をつくりだしてしまっていた。

 そこが出血していて、主治医はこんな食道でよくご飯を頑張って食べていたね、と母は強いと思いました。

 しかし利尿剤も使用してましたが効果があまりなく、門脈腫瘍に食道動脈瘤にむくみ、腹水。てのほどこしようがなくなっていました(泣)
 抗がん剤をやめ緩和ケアに、切り替えましたが息苦しくお水を欲しがるばかり。

 頑張ると、言うていた母もいつしか楽に死にたいと言うようになりました。
余命は一週間先生きていますと言いきれないと主治医からもあり覚悟するようにとのことだった。
 先生がコロナで会えないのは酷だと上の方に話を通してくれたおかげで亡くなるまで付き添い寝泊まりでき、母の息苦しさ限界のようで、『もういい、もういい』といい、わかったもう寝ようね、と私は母に伝え眠る薬とモルヒネを入れ、眠っていった。告知からたった2週間でお空へ旅立ちました。

主治医は、私たち家族の疑問がでる度に何度でも説明をしてくれた。
 
 とにかくずっと、泣いていた2週間。
いつ、母が危篤になるかハラハラし夜中はとくに怖かった。
でも、その日は突然やってくる。


私には4歳の娘と旦那、そして今妊娠10ヵ月。

 母も赤ちゃんの顔みるまでは‥と話をしていたけどそれは叶わなかった。
 
2週間たくさん母に触れた、私のあだ名を呼ぶ声を思い出す。
 ママにはかなわない☆彡 

そんな中もういつ産まれても大丈夫な時期になっている時に、夫も立ち会い出産が出来なくなってしまった(泣)コロナ。
 母の時も今も、私には悲しみしかない

前回も緊急帝王切開となり一人で誕生をみとどけた。手術台でとても寂しさが襲ったのを覚えている。
だから二人目は絶対に旦那と感動を分かち合いたいと思っていたのに、また一人で‥
 コロナが本当に憎い‼️
泣いた日々に看病、あちこち運転したり母の葬儀や、手続きで、赤ちゃんに、負担をかけてけど無事に元気にしてくれています。照れ

 出産のとき誰もビデオ撮る人もいないし写真ももとれないだろうな
 一人で戦うしかない。記憶に焼き付けようわが子の誕生を。




ママおねがいお空から見ててね‼️
 私には素敵な家族がいます✨心配しないでいいからね☺️